''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

北浜のバラ園 しのぶれど 2006年 より。

今週は、先週の土曜日に行った北浜のバラ園の特集しています。
日常に、花を見る機会はなかなかないです。
まして、バラなどと言えば、ほんの数種類だけです。

誰かのエッセイか何かので読んだ中に、子供の育ち方というのがありました。
どんな子育てをすれば、いい子に育つかと言うのかです。
そんな中に「花の名前を多く言える子供に育てる」と言うのがありました。
女の子にしても、男の子にしても、この花の名前を言える子供に育つと、ぐれない優しい子に育つと言う事でしょうね。

そんなに上手く行くとは思えませんが、花の尊さをしれば、人の命の尊さもしります。
バラを育てるに要する時間は、計り知れません。
それに比べて、花の咲いている時間は、瞬間です。
何か人生を豊かにしてくれるエッセンスが隠れていると、思いますね。

一つでも、多くの花の名を知り、そこに育った情緒が何やら大人になった時、人より多くの何かを得られる暮らしは、豊かですね。
もう一つ、そこに和歌や短歌、俳句なども加わるともっと深い世界になりそうです。

それで生活がよくなることはなくても、心は豊かです。
一つでも、多くの和歌や短歌を口づさみながら、過ごせるといいでしょうね。
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北浜のバラ園でも見つけました。
洋でなく、和です。
「しのぶれど」そんな名前のバラがあるとは、知りませんでした。
名前の通り、青紫系のバラです。
不思議な色合いです。
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高貴な色合いですね。
紫と言えば、高貴な色、身分の高い人しか着用出来なかったです。
江戸時代の紫衣事件は有名です。
バラの名が「しのぶれど」と来れば、これは平兼盛(たいらのかねもり)の和歌を口づさみます。

しのぶれど 色にいでにけり わが恋は ものや思ふと 人のとふまで

意訳 人には知られないように隠していたけれど、私の恋は、とうとう顔の表情に出てしまった。「何か考え事でもあるの?」と人が尋ねるようにまでなってしまった。

なかなかの名歌ですよね。
私のブログにも何とも登場している和歌です。

しかし、この和歌は、ただの和歌ではありません。
天徳4年(960年)の天徳内裏歌合の時の勝負歌です。

それも、最終決戦の20番、お題は「恋」です。
相手は、壬生忠見(みぶのただみ)の恋の歌も凄いです。

恋すてふ わが名はまだき たちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか

意訳 恋をしているという私の噂は、早く世間に広まってしまった。人知ればひそかに恋がはじまったばかりだというのになぁ。

現代のこの心境なら、元プロバレーボールの大林 素子さんなら、きっと頷けるでしょうね。
恋が始まった矢先、週刊誌に写真を撮られてしまったですね。
あの会見でも、マスコミに対する恨みすら感じましたね。

兼盛といい、忠見といい、即興にしては、さすがに凄い才能です。
その場では、すぐに優劣はつけられなかった。
ボクシングの郡司さんの採点でも、10対10の微妙なところですね。

この時、時の帝・村上天皇が「しのぶれど~」と口づさまれていた。
このことにより、平兼盛の和歌を優位とした。
確かに歌の内容もさることながら、「しのぶれど」と始まる音のリズムの良さはバツグンです。
それに、読みやすい歌い易いとくれば、帝が口ずさまれるのも、妙理です。

ただ、壬生忠見(みぶのただみ)は身分が低かったです。
天徳2年(958)に摂津大目(せっつだいさかん)に叙され、本来なら七位か八位です。
歌合には、帝の御前にして、六位として出場していると思われます。

それに比べて、平兼盛は、従五位下に叙せられている。
天暦4年(950年)越前権守に任官と同時に臣籍降下し平姓を賜与された。(皇族の身分から外れた)
この段階では、皇族の兼盛王から、平氏という公家になったという事ですね。。
つまり、歌合の10年前まで、皇族だったという事になりますね。
歌合の後、山城介、大監物、駿河守を歴任し、この間、康保3年(966年)に従五位上に叙せられている。(Wikipedia参照)

身分低くても、それだけ、壬生忠見には、和歌才能があったと言えます。
もし、身分の違いがなかったら、どちらの勝敗になっていたのか、不明です。
一説によると、この歌合の悔しさから、壬生忠見は病になり、没したとも記されています。

どちらも優れた和歌であり、百人一首、40番、41番の中に納められています。
その平安の和歌が、2006年の「しのぶれど」に繋がります。
もちろん、この元歌を意識して、バラの名前がつけられていますよね。

このバラ、私の境地にも言えます。
今は「しのぶれど」ですね。
横山たかし風に言うなら「耐え~よ」という事でしょうかね。(赤いハンカチや、スーツの裏地に、拍手などの刺繍はいりません)
やはり、笑いを誘うなら、スーツの裏地は、古典落語風に「花色木綿」と言わないといけないですね。

青や青紫の色は、どことなく儚い感じがします。
この色合いが、恋なんでしょうかね。
時に、紫も赤紫に変われば、感じもかわります。
茜色に近づきますよね。

日々の暮らしの中、花の見て、月を見て、心が穏やかになります。
これもありがたい仏縁のお蔭です。
ありがたいと感謝しています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らす、それが願いです。

今日も一日、私も世の中、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、花色バラバラの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。