''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

六月のカレンダー「座久成労」の禅語 より。

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遅ればせながら、毎月禅語のカレンダーの話です。
先週は、北浜のバラ園特集で、毎月の禅語の話を飛ばしてしまいました。
六月は、甲州向嶽寺派管長 宮本大峰 老師の書です。

 

坐久成労 (ざきゅうじょうろう)碧巌録の言葉ですね。
 音にして読むと 「坐久しうして労をなす」

 

大意は、仏教の根本義。禅の真髄は座禅三昧。
「ア、やれやれくたびれた」と言いつつも放つ凄まじい禅匠の姿には寄りつけない。
上記のように解説されています。

 

これだけでは、凡夫の私には理解できません。
ネットで調べました。

 

挙す。僧、香林に問う、「如何なるか是れ祖師西来意」。林云く、「坐久成労」。

 

香林とは、香林澄遠禅師ですね。
その師は、雲門宗の雲門文偃禅師ですね。

 

ある僧が、香林禅師に尋ねた。
「是れ祖師西来意」とは、達磨大師がインドより中国へ渡って来られた、その真意とは何か?簡単に言えば、「悟り」とは何かという言うことでしょうね。

 

僧の問いかけに「長い間座っていたので、やれやれくたびれた」と香林禅師は答えられた。

 

「坐久成労」は、やれやれと言う心地よい充実感のようです。

 

それ以上に禅の老師としては、もうこれ以上何も求めるものがないと悟りの域を達した
ことを表した言葉であるようです。

 

長い間修行して来て、「ようやく求めていたものが見えてきた」と言う心身ともに心地よい疲れた状況であり、、充実の心地であるとも言えます。

 

それらの修行の結果発した言葉が、「坐久成労」の「ア、やれやれくたびれた」の言葉に集約されているようです。
私が、「ただ疲れたよ」というのとは訳が違うのですね。
深い意味がここにあったと言うことになります。

 

私なら、ああ一日疲れたよ、まずは晩酌の慰労酒を飲もうよ。
そんな言葉には、繋がらないのでしょうかね。
それもありですよね。

 

禅では、日常の生活すべてが、修行です。
食事も、掃除も、もちろん座禅もですね。
瞑想に耽る。
何を考え、何を思うのでしょうね。
心を無にして、自然と一体となる。

 

そんな時間の中に、何が見えるのでしょう。
特に禅師と呼ばれるような高僧なら、どんな瞑想に耽るのでしょうかね。

 

座禅はしませんが、物思いに耽ることは多いです。
よく言えば物思いでしょうが、単にぼーっとしています。
何を考えることでなく、何かぼーっとしているのです。
それも瞑想でしょうかね。

 

時に息を整え、整息の術です。
鼻から息を一気に吸い、へその下辺りの丹田から息をゆっくり吐くイメージです。
それを繰返し、心も頭の何も考えない状況を作ります。
これだけやっていても、意外と疲れるので、ダイエットにもなると思います。
所謂、腹式呼吸ですね。

 

心のリセットと呼べばいいのでしょうかね。
集中する前には、いいかも知れません。
何か大きな出来事の前には、呼吸を整える必要があります。

 

朝からの大きな事件と言えば、オウム真理教菊地直子が捕まれましたね。
海外逃亡説や死亡説も流れる中、普通人として生活していたようです。
ニュースによると、年末の平田信の自首に感化されて、いずれは捕まると自覚していたようです。

 

長い間の逃亡生活で、何を見たのでしょうね。
介護の仕事をしていたとも聞きます。

 

彼女を隠避していた男性も同時に逮捕されたようです。
二人の仲に、どんな思いがあったのか、複雑な心境だったと思います。

 

これで、逃げなくて済む。
そう安堵感もあったし、もしかしたら二人して新しい生活が出来ると考えられるかもしれないですね。

 

それは、平田信氏も同じでしょうね。
ですから、あえて自首したのだと思います。

 

長い逃亡生活の中、逮捕ということが、その逃亡生活に終わりをつけます。
「あぁー、疲れた」
と、座禅三昧ならぬ逃亡三昧の末の心境だと思います。
菊地直子と言えば、誰がつけたのか知らないですが「走る爆弾娘」とは、意味不明です。

 

平田氏にしても、菊地氏しても、オウムのあのサリン事件にどれだけ深く関与したのか、不明です。

 

特に何ゆえ、幹部でもなかった菊地直子が、指名手配されることになったのか、不明な点が多いです。
平田、菊池は、連絡を取り合っていたわけでもないようです。

 

それほどのサリン事件のキーマンだったのでしょうか?
警察が作り出した、妄想の結末の産物だったような気もします。
事件の解明に繋げて欲しいです。
残るは高橋氏だけです。

 

警察庁長官射撃事件の犯人すら、逮捕できない警察に、真実の解明ができるのでしょうか、いささか疑問です。

 

時間が経ったことによって、風化されたオウム事件です。
多くの犠牲者が出た特異なテロ事件だったですね。
原始仏教と、オウムの教義、似て非なるものだと思います。
言葉や用語だけ、原始仏教用語を用いて、オカルト的な要素を、結びつける教団です。

 

あの事件で、加害者も何ゆえ、もっと自問自答しなかったのか、不明です。
瞑想三昧すれば、そこに真理がないことは、容易に理解できると思えます。
マインドコントロールされると、そういう瞑想する力もなくなるのでしょうか?

 

不思議な事件が、今でも多くの被害者を惑わします。
ある程度時間が経ちました、心のリセットが、今必要です。
被害者にも、加害者にも、そして社会にも必要だと感じます。
冷静に真実を見極めたいです。

 

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあるはずです。
目線を下げたら見える幸せも、過去にこだわれば、見えません。
今の自分に当てはめたら、目線を下げて、自分の目で幸せを見つけるだけです。

 

ありがたいことに、私には仏縁を頂いています。
ありがたいと感謝しています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、くたびれた長い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。