梅雨の時期ですから、こうしたこともあります。
なかなかやろうとすることが、進みません。
弱い自分がここに居ますね。
なかなかやろうとすることが、進みません。
弱い自分がここに居ますね。
私と言えば、昨日2日のカレンダーの言葉は、「無私の心」(むしのこころ)でした。
妙心寺で頂いた日捲りカレンダーです。(日捲りと言っても、31日分31枚しかありません)
簡単に言えば、私というものを無くしてすると言う事でしょうね。
妙心寺で頂いた日捲りカレンダーです。(日捲りと言っても、31日分31枚しかありません)
簡単に言えば、私というものを無くしてすると言う事でしょうね。
今政治の世界は、政局で動いているとも言われています。
意味のない政治の闘争に大事な時間を無駄にしています。
意味のない政治の闘争に大事な時間を無駄にしています。
私利私欲の姿です。
「滅私奉公」と誰か時の総理が言ったけれど、そんな言葉は理想卿の空想に過ぎません。
自分の殺して、世の中に尽くすという意味を成していません。
「滅私奉公」と誰か時の総理が言ったけれど、そんな言葉は理想卿の空想に過ぎません。
自分の殺して、世の中に尽くすという意味を成していません。
第三局の登場を待つ国民の期待が強くなっています。
それもいつもの期待はずれになる公算も多いです。
それもいつもの期待はずれになる公算も多いです。
浅ましい姿です。
禅の言葉、禅語に「天無私」(てんわたくしなし)と言うのがあります。
天、私無しと意味するものは、深いです。
禅の言葉、禅語に「天無私」(てんわたくしなし)と言うのがあります。
天、私無しと意味するものは、深いです。
一つは、大自然は公平無私で万人・万物対して平等という意味であります。
それは、太陽は善人にも悪人にも日を照らし、風は貧富に関わらず吹きます。
もう一つは、大自然の働きは、少しの無理も作為もなく、滞りなく整然と働きます。
それは、太陽は善人にも悪人にも日を照らし、風は貧富に関わらず吹きます。
もう一つは、大自然の働きは、少しの無理も作為もなく、滞りなく整然と働きます。
誰かだけに偏ってもいません。
日が昇り、日が沈み、月が昇り、月が沈む、その季節なれば、花が咲き、実を付ける。
自然の摂理には無理がありません。
そうした自然の摂理の中に、私たち人も住しています。
日が昇り、日が沈み、月が昇り、月が沈む、その季節なれば、花が咲き、実を付ける。
自然の摂理には無理がありません。
そうした自然の摂理の中に、私たち人も住しています。
能『定家』の中に出てくる「時雨の亭」に由来する処らしいです。
式子内親王と定家との恋物語、内親王が亡くなられた後、定家の執心が葛となって内親王のお墓に這い纏ったという話をして僧の回向を乞うた女の霊(内親王)が、少し怖いです。
式子内親王と定家との恋物語、内親王が亡くなられた後、定家の執心が葛となって内親王のお墓に這い纏ったという話をして僧の回向を乞うた女の霊(内親王)が、少し怖いです。
夏目漱石の座右の銘に「則天去私」(そくてんきょし)と言うのは有名です。
この言葉には、「無私なる天に則り、私心を去って造作にわたらない」という意味があるようです。
人もこうすれば、自然の中の一つに溶け込んで、生きていけるのでしょうね。
この言葉には、「無私なる天に則り、私心を去って造作にわたらない」という意味があるようです。
人もこうすれば、自然の中の一つに溶け込んで、生きていけるのでしょうね。
私という欲が邪魔をするのかも知れません。
この雨が、私利私欲という邪心まで、流して欲しいものです。
この雨が、私利私欲という邪心まで、流して欲しいものです。
日々の暮らし、イライラすることも多いです。
そんなストレスも、何かの欲から発するものかもしれません。
そう思っても、なかなか上手く行きません。
まだまだ修行が必要です。
そんなストレスも、何かの欲から発するものかもしれません。
そう思っても、なかなか上手く行きません。
まだまだ修行が必要です。
日々の暮らしの中で、ささやかな「よかった」を探しています。
目線を下げたところに、いろんな「よかった」があります。
今日も、裏庭とトマトが一回り大きくなっていました。
目線を下げたところに、いろんな「よかった」があります。
今日も、裏庭とトマトが一回り大きくなっていました。
ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたいと感謝しています。
ありがたいと感謝しています。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に過ごせるように祈るばかりです。
最後まで、つまらない話を無視して、お付き合い下さいましてことに、心より感謝致します。