''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

2日は「無私の心」の心境です より。

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朝から強い雨音で目覚めました。
「あー今日も雨か?」

梅雨の時期ですから、こうしたこともあります。
なかなかやろうとすることが、進みません。
弱い自分がここに居ますね。

私と言えば、昨日2日のカレンダーの言葉は、「無私の心」(むしのこころ)でした。
妙心寺で頂いた日捲りカレンダーです。(日捲りと言っても、31日分31枚しかありません)
簡単に言えば、私というものを無くしてすると言う事でしょうね。

今政治の世界は、政局で動いているとも言われています。
意味のない政治の闘争に大事な時間を無駄にしています。

福島の原発、福井の大飯原発の再稼動、大きな国民の「ノー」の声に権力者は耳を貸しません。
東日本大震災の爪あとも、そのまま、復興の支援も、そのまま、これで日本が機能するとは思いません。

私利私欲の姿です。
「滅私奉公」と誰か時の総理が言ったけれど、そんな言葉は理想卿の空想に過ぎません。
自分の殺して、世の中に尽くすという意味を成していません。

この国の政治は、どこに行こうとしているのでしょうね。
民主と自民も、次の選挙では躍進はありません。
特に嘘つき民主党は、壊滅的な結果になるでしょうね。

第三局の登場を待つ国民の期待が強くなっています。
それもいつもの期待はずれになる公算も多いです。

浅ましい姿です。
禅の言葉、禅語に「天無私」(てんわたくしなし)と言うのがあります。
天、私無しと意味するものは、深いです。

一つは、大自然は公平無私で万人・万物対して平等という意味であります。
それは、太陽は善人にも悪人にも日を照らし、風は貧富に関わらず吹きます。
もう一つは、大自然の働きは、少しの無理も作為もなく、滞りなく整然と働きます。

誰かだけに偏ってもいません。
日が昇り、日が沈み、月が昇り、月が沈む、その季節なれば、花が咲き、実を付ける。
自然の摂理には無理がありません。
そうした自然の摂理の中に、私たち人も住しています。

そうした自然の変化の様子を歌った歌があります。
定家の歌では「いつわりのなき世なりけり神無月 誰がまことより時雨そめけん」
(『禅語の茶軸 一行物』芳賀幸四郎著 淡交社刊 参照)

能『定家』の中に出てくる「時雨の亭」に由来する処らしいです。
式子内親王と定家との恋物語内親王が亡くなられた後、定家の執心が葛となって内親王のお墓に這い纏ったという話をして僧の回向を乞うた女の霊(内親王)が、少し怖いです。

時同じく、今日も雨です。
時雨ではないけれど、本降りの梅雨の雨にも、大自然の摂理です。
天から降った雨は、普く草木作物に、恵みの雨を与えます。
雨降る日も、天気の日も、やはりこれまた好日です。

自然の前では、私個人はちっぽけな存在です。
大自然のように、公平無私、無心無造作に生きたいです。

夏目漱石座右の銘に「則天去私」(そくてんきょし)と言うのは有名です。
この言葉には、「無私なる天に則り、私心を去って造作にわたらない」という意味があるようです。
人もこうすれば、自然の中の一つに溶け込んで、生きていけるのでしょうね。

私という欲が邪魔をするのかも知れません。
この雨が、私利私欲という邪心まで、流して欲しいものです。

日々の暮らし、イライラすることも多いです。
そんなストレスも、何かの欲から発するものかもしれません。
そう思っても、なかなか上手く行きません。
まだまだ修行が必要です。

日々の暮らしの中で、ささやかな「よかった」を探しています。
目線を下げたところに、いろんな「よかった」があります。
今日も、裏庭とトマトが一回り大きくなっていました。

季節は、日に日に夏に近づいています。
京都は、祇園祭が終われば、梅雨が明けて、夏本番です。
暑い暑い夏です。

今年の夏は、節電モードで暑いです。
原発からの脱却のためにも、節電に努めます。
出来ることから、コツコツとです。

ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたいと感謝しています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に過ごせるように祈るばかりです。

最後まで、つまらない話を無視して、お付き合い下さいましてことに、心より感謝致します。