''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

平家重代の名刀 小烏丸(伝天国) より。

昨晩から朝まで、雨も強く降っていました。
やはり、まだまだ梅雨も明けません。
京都では、梅雨明け頃に、祇園囃子が聞こえます。
祇園祭りの時期です。

 

京都と言えば、長い間の都です。
大河ドラマと言えば、大抵時代物が多いです。
その中にあっても、都のシーンは必ず出てきます。

 

先日の大河ドラマ平清盛』 源義朝との一騎打ちのシーンがありましたね。
史実では、そんな一騎打ちはないと思います。
大将同士が、太刀を抜いて、戦うことはありえないと思います。

 

大将の首を相手方に落ちれば、戦はそれで終わりです。
そんなリスクは、どちらも避けると考えるのが、常です。

 

それにしても、清盛と義朝の一騎打ち、義朝は太刀で、清盛は大きな剣で戦っていました。
ありえないことだと感じています。
大河の中では、清盛が大きな剣を使うシーンが多いです。

 

武家の棟梁ですから、やはり平家重代の太刀を刷きます。
大鎧には、太刀が似合います。

 

大きな剣と太刀が、刃を交じわえば、その剣の重さで、太刀が折れることになると思います。
太刀を含めて、日本刀は、構造上折れにくい作りになっています。
それにも限界があります。

 

兜や灯篭など、極端に硬いものを切ろうとすると、折れるか、伸びるかして、原型を留めないことになります。
伝説的な兜割や灯篭切りは、現実的ではないです。

 

一回の合戦で、太刀の刃はボロボロの刃こぼれを起こします。
ですから、何振りも太刀や添え刀を用意しているのが、常です。
戦場で、刀が折れたりすれば、生死に関わりあいます。

 

ただ、この源平の戦の方法は、騎乗の侍なら、名乗りを上げる一揆討ち多いです。
「やあやあ、我こそは、源○○が家臣・・・・・」
名乗りを上げられれば、それ相応の者が相手をしなくてはいけません。
身分軽く者と、身分高い武士は、刃を交えることはありません。

 

戦国時代のような鉄砲などありません。
ただ、弓矢は戦の状況変えるほどの効果はあります。
飛んでくる弓矢も、刀で叩き落とすのも、武士の技術です。

 

刀の中には、この弓矢を落とす時の傷のあるものがあります。
これは、愛好する人が多くて、それだけ価値も上がります。

 

武家の棟梁である平氏や源氏なら、重代の太刀が多く存在します。
家の宝でもあります。
イメージ 1

『新・日本名刀100選』佐藤寒山著 秋田書店 )
平家重代の名刀と言えば、やはり、小烏丸(伝天国)を思い浮かびます。
その太刀姿が異様です。
剣のように、両方に刃が付いています。

 

ある専門化の説明です、
剣から太刀への移行している過渡期であったり、直刀から鎬造り(しのぎつくり)への過渡期であると説明されることもあります。

 

この異様な太刀は、この小烏丸(こがらすまる)だけです。
幕末になれば、この小烏丸の写しも見ることがあります。
実用的な刀ではないように思えます。
しいて言えば、私には特注品であったように思えます。

 

作者の天国もあくまで、「伝」として存在するだけで、他の太刀はありません。
時代劇で、「みね討ち」と言う言葉を使われますが、相手を捕縛する為ならありえますが、
実践では、刀のみねを使うことはありません。
それは、みねには焼きが入っていませんから、みねの部分で相手の刀を受ければ、折れ易くなります。

 

刃の部分は、焼きが入って強くなっています。
その部分が、日本刀の刃文の部分として、刀の特徴になっています。
その刃文によって、刀工を特定したり、ヒントがあります。

 

時代劇で、刀だけを見て、誰々の作と特定しているシーンがありますが、あれはマユツバものです。
中子まで見て、銘を確認して、誰々の作と言うのは、分かります。
ただ、刀の姿を見れば、おおよその時代は特定出来ます。
素人の私にも、平安のものか、幕末のものか、形が違っていますので、その区別は分かります。

 

ただ、南北朝の刀と幕末期の刀は、似ていることがあります。
本当の戦乱になると、反りのない形もシンプルであったり、逆に異様な形のものが作られます。
でも、小烏丸のような異様な太刀は見ないです。
それだけ実践的な太刀でなかったことになります。

 

この小烏丸には、曰くが付きます。
桓武天皇が、南殿おわす時に、一羽の烏(からす)が飛んで来て、伊勢神宮のお使いであると申し上げて、飛び去った。
そのあとに、この太刀が残されていた。

 

これを、朝廷の守り刀として長くあったものを、平将門追討の折、平貞盛に賜り、平家重代の宝刀なったというのが、この太刀の所以です。
平清盛の時代から遡ること、200年以上の前の出来事です。

 

名刀には、その刀の健全さだけでなく、由来が付かないと、本当の名刀と扱われないことが多いです。
その太刀の姿だけでなく、こうした歴史の話を聞くのも、歴史好きにはたまりません。

 

この名刀、平氏のどの血筋が宝として持っていたのかは、私には判別できません。
一時は、行方不明であったが、後に伊勢家に保管されてあり、
明治維新後に伊勢家より対馬国の宗氏に買い取られた後、明治15年(1882年)宗重正伯爵より明治天皇に献上されたと解説されています。(Wikipedia参照)
今では、御物です。

 

権力も、お金も名刀も、時の権力者に集中するようですね。
過去も現在も、その辺りは同じようです。

 

時の権力者も、国の民のことを思い政治をして欲しいです。
今の政府には、国民のことが見えていないように感じます。
政局の流れ、ただそれしか見ていません。

 

次の選挙で、生き残れない政治家が、多数出現します。
いい政治をしてくれる政治家に、一票投じたいものです。
政治に国民の声が反映できる時代に、私たちは生きています。

 

それを行使出来るのが、選挙ですから。
国民にも、責任があることも自覚する必要があります。
いい時代に生まれてきたと感じます。
ありがたいです。

 

ありがたいことに、私は仏縁を頂けています。
ありがたい感謝して暮らしています。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せが落ちていると信じています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしてたいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るはかりです。

 

最後まで、獅子身中の虫も、この名刀で叩ききってもらいたい話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。