大将の首を相手方に落ちれば、戦はそれで終わりです。
そんなリスクは、どちらも避けると考えるのが、常です。
そんなリスクは、どちらも避けると考えるのが、常です。
それにしても、清盛と義朝の一騎打ち、義朝は太刀で、清盛は大きな剣で戦っていました。
ありえないことだと感じています。
大河の中では、清盛が大きな剣を使うシーンが多いです。
ありえないことだと感じています。
大河の中では、清盛が大きな剣を使うシーンが多いです。
武家の棟梁ですから、やはり平家重代の太刀を刷きます。
大鎧には、太刀が似合います。
大鎧には、太刀が似合います。
大きな剣と太刀が、刃を交じわえば、その剣の重さで、太刀が折れることになると思います。
太刀を含めて、日本刀は、構造上折れにくい作りになっています。
それにも限界があります。
太刀を含めて、日本刀は、構造上折れにくい作りになっています。
それにも限界があります。
兜や灯篭など、極端に硬いものを切ろうとすると、折れるか、伸びるかして、原型を留めないことになります。
伝説的な兜割や灯篭切りは、現実的ではないです。
伝説的な兜割や灯篭切りは、現実的ではないです。
一回の合戦で、太刀の刃はボロボロの刃こぼれを起こします。
ですから、何振りも太刀や添え刀を用意しているのが、常です。
戦場で、刀が折れたりすれば、生死に関わりあいます。
ですから、何振りも太刀や添え刀を用意しているのが、常です。
戦場で、刀が折れたりすれば、生死に関わりあいます。
ただ、この源平の戦の方法は、騎乗の侍なら、名乗りを上げる一揆討ち多いです。
「やあやあ、我こそは、源○○が家臣・・・・・」
名乗りを上げられれば、それ相応の者が相手をしなくてはいけません。
身分軽く者と、身分高い武士は、刃を交えることはありません。
「やあやあ、我こそは、源○○が家臣・・・・・」
名乗りを上げられれば、それ相応の者が相手をしなくてはいけません。
身分軽く者と、身分高い武士は、刃を交えることはありません。
戦国時代のような鉄砲などありません。
ただ、弓矢は戦の状況変えるほどの効果はあります。
飛んでくる弓矢も、刀で叩き落とすのも、武士の技術です。
ただ、弓矢は戦の状況変えるほどの効果はあります。
飛んでくる弓矢も、刀で叩き落とすのも、武士の技術です。
刀の中には、この弓矢を落とす時の傷のあるものがあります。
これは、愛好する人が多くて、それだけ価値も上がります。
これは、愛好する人が多くて、それだけ価値も上がります。
武家の棟梁である平氏や源氏なら、重代の太刀が多く存在します。
家の宝でもあります。
(『新・日本名刀100選』佐藤寒山著 秋田書店 )
平家重代の名刀と言えば、やはり、小烏丸(伝天国)を思い浮かびます。
その太刀姿が異様です。
剣のように、両方に刃が付いています。
家の宝でもあります。
(『新・日本名刀100選』佐藤寒山著 秋田書店 )
平家重代の名刀と言えば、やはり、小烏丸(伝天国)を思い浮かびます。
その太刀姿が異様です。
剣のように、両方に刃が付いています。
ある専門化の説明です、
剣から太刀への移行している過渡期であったり、直刀から鎬造り(しのぎつくり)への過渡期であると説明されることもあります。
剣から太刀への移行している過渡期であったり、直刀から鎬造り(しのぎつくり)への過渡期であると説明されることもあります。
この異様な太刀は、この小烏丸(こがらすまる)だけです。
幕末になれば、この小烏丸の写しも見ることがあります。
実用的な刀ではないように思えます。
しいて言えば、私には特注品であったように思えます。
幕末になれば、この小烏丸の写しも見ることがあります。
実用的な刀ではないように思えます。
しいて言えば、私には特注品であったように思えます。
作者の天国もあくまで、「伝」として存在するだけで、他の太刀はありません。
時代劇で、「みね討ち」と言う言葉を使われますが、相手を捕縛する為ならありえますが、
実践では、刀のみねを使うことはありません。
それは、みねには焼きが入っていませんから、みねの部分で相手の刀を受ければ、折れ易くなります。
時代劇で、「みね討ち」と言う言葉を使われますが、相手を捕縛する為ならありえますが、
実践では、刀のみねを使うことはありません。
それは、みねには焼きが入っていませんから、みねの部分で相手の刀を受ければ、折れ易くなります。
刃の部分は、焼きが入って強くなっています。
その部分が、日本刀の刃文の部分として、刀の特徴になっています。
その刃文によって、刀工を特定したり、ヒントがあります。
その部分が、日本刀の刃文の部分として、刀の特徴になっています。
その刃文によって、刀工を特定したり、ヒントがあります。
時代劇で、刀だけを見て、誰々の作と特定しているシーンがありますが、あれはマユツバものです。
中子まで見て、銘を確認して、誰々の作と言うのは、分かります。
ただ、刀の姿を見れば、おおよその時代は特定出来ます。
素人の私にも、平安のものか、幕末のものか、形が違っていますので、その区別は分かります。
中子まで見て、銘を確認して、誰々の作と言うのは、分かります。
ただ、刀の姿を見れば、おおよその時代は特定出来ます。
素人の私にも、平安のものか、幕末のものか、形が違っていますので、その区別は分かります。
ただ、南北朝の刀と幕末期の刀は、似ていることがあります。
本当の戦乱になると、反りのない形もシンプルであったり、逆に異様な形のものが作られます。
でも、小烏丸のような異様な太刀は見ないです。
それだけ実践的な太刀でなかったことになります。
本当の戦乱になると、反りのない形もシンプルであったり、逆に異様な形のものが作られます。
でも、小烏丸のような異様な太刀は見ないです。
それだけ実践的な太刀でなかったことになります。
名刀には、その刀の健全さだけでなく、由来が付かないと、本当の名刀と扱われないことが多いです。
その太刀の姿だけでなく、こうした歴史の話を聞くのも、歴史好きにはたまりません。
その太刀の姿だけでなく、こうした歴史の話を聞くのも、歴史好きにはたまりません。
この名刀、平氏のどの血筋が宝として持っていたのかは、私には判別できません。
一時は、行方不明であったが、後に伊勢家に保管されてあり、
明治維新後に伊勢家より対馬国の宗氏に買い取られた後、明治15年(1882年)宗重正伯爵より明治天皇に献上されたと解説されています。(Wikipedia参照)
今では、御物です。
一時は、行方不明であったが、後に伊勢家に保管されてあり、
明治維新後に伊勢家より対馬国の宗氏に買い取られた後、明治15年(1882年)宗重正伯爵より明治天皇に献上されたと解説されています。(Wikipedia参照)
今では、御物です。
権力も、お金も名刀も、時の権力者に集中するようですね。
過去も現在も、その辺りは同じようです。
過去も現在も、その辺りは同じようです。
時の権力者も、国の民のことを思い政治をして欲しいです。
今の政府には、国民のことが見えていないように感じます。
政局の流れ、ただそれしか見ていません。
今の政府には、国民のことが見えていないように感じます。
政局の流れ、ただそれしか見ていません。
次の選挙で、生き残れない政治家が、多数出現します。
いい政治をしてくれる政治家に、一票投じたいものです。
政治に国民の声が反映できる時代に、私たちは生きています。
いい政治をしてくれる政治家に、一票投じたいものです。
政治に国民の声が反映できる時代に、私たちは生きています。
それを行使出来るのが、選挙ですから。
国民にも、責任があることも自覚する必要があります。
いい時代に生まれてきたと感じます。
ありがたいです。
国民にも、責任があることも自覚する必要があります。
いい時代に生まれてきたと感じます。
ありがたいです。
ありがたいことに、私は仏縁を頂けています。
ありがたい感謝して暮らしています。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せが落ちていると信じています。
ありがたい感謝して暮らしています。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せが落ちていると信じています。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしてたいです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るはかりです。
最後まで、獅子身中の虫も、この名刀で叩ききってもらいたい話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。