''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

妙心寺の日捲りカレンダー、14日を思う より。

朝から雨です。
九州地方の大雨の被害も甚大です。
一時も早い回復を念じます。

春に妙心寺に行った時頂いた日捲りカレンダーを、朝に捲っています。
ズボラですから、時に忘れることもあります。
この日捲りカレンダーは、366枚ありません。
31枚しかないです。

毎月同じ日は、同じ言葉が記されています。
その一枚の下に、1月から12月までに曜日を記された少し変わったカレンダーです。
しかし、そこに書かれていることは、いつも何かを感じます。
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今日14日は、「すべての人びとを父母のような敬(うやま)う」です。
深い言葉です。
すべての人びとを父母のような敬(うやま)えば、戦も争うもないはずです。
それが出来ないのが、人の愚かさです。

法華経の一節にも、「諸仏如来は是れ我等が慈父なり」があります。
諸仏如来は、慈悲慈愛の深い父と思いなさいという諭しです。
また、妙法華経仏説観普賢菩薩行法教にも「一切の人を観ること猶ほ仏の想の如くし、諸の衆生に於て父母の想の如くせよ」という一節があります。

私も仏さまも身近に感じています。
何かを念じるだけの存在でなく、身近に感じる存在でもあります。

何か神仏と言えば、お願い事もする場所とお思いでしょうが、そうではありません。
今あることに感謝する場所でもあると感じます。
身近にある存在であるが故に、まさしく父母の如く思えるのかもしれません。

禅の上では、師もまさに慈父かもしれません。
師の深い教えに感化さてれ、大悟するのかもしれません。

先日、本当の父親から電話がありました。
たわいもないことです。
いつも電話時間は30秒以内です。
我家では親子で、長電話する週間はありません。
用件のみの会話です。

それでも、離れて暮らしていて、繋がっている気持ちはあります。
また、家族会も開かないと感じています。
なかなか、予定が立たないというのが、現実です。

常に苦労を掛けている両親と深く感謝はしていますが、何かそんな言葉を言うことはありません。
言わなくても分かっているというのが、血縁の強みでしょうね。
でも、男ですから、そうした言葉を発することにテレがあります。
いつもツッケンドンな対応も申し訳ないと感じることも多いです。

先日も、家族で旅行したホテルから、キャンペーンのはがきが届きました。
人生最初の一泊の家族旅行をしたことは、今でも良かったと実感しています。
両親が、これほどと言わんばかりに喜んでくれたからです。
両親にとっても、一泊旅行できたという安堵があったのかもしれません。

また、夏のキャンペーンをしていますから、淡路までなら、一泊してみたいと感じでいます。
この14日のカレンダーを見て、そう深く感じるものがありましたね。

他人にも、父母の如く敬えば、こんな素晴らしいことはないでしようね。
ただ、現実的には難しいです。

敬える人も言えば、敬えない人も多いのが現実です。
世の中には、無分別な方も、配慮や思慮の少ない方も多いです。
それが、十界互具の世界です。

時に腹が立ち、餓鬼や畜生の気持ちで怒り、時に菩薩のような優しい気持ちで労わる。
不思議な世界に住しています。
私的に言えば、この世界もすべて仏の世界です。
特殊な世界に仏の世界があるのでなく、身近な世界にこそ、仏の世界があるはずです。

日々の暮らしの中、ささやかな幸せが落ちています。
目線を下げたところに、幸せを見つめることが出来ます。

ありがたいことに、私は仏縁を頂けています。
ありがたいと感謝して暮らしています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、日捲りのぺらぺらな話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。