''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ひな壇に植えられた花に見とれて より。

朝から暑いです。
今日は、京都の祇園祭山鉾巡行日です。
朝から、地元KBSではその中継が行われています。
晴れてよかったです。

恥ずかしながら、京都に住して27年になりますが、巡行しているのを、ちゃんと見たことがありません。
もちろん、宵山や宵々山には出かけたことがありますが、動いているのは、いつもテレビだけです。

京都に住している方で、巡行見たことがない人は多いと思います。
人が多いですからね。
今晩、三体の神輿が出ます。
そちらをご覧になる方が、通かもしれません。

京都の町中が、祇園祭一色です。
1ヶ月ほど祭りの神事があります。
その時期、四条辺りを通ると、山鉾の組み立てる処を見ることもありました。
四条辺りも祇園囃子の音楽が流れます。

もうすぐ、梅雨も明けます。
それだけ季節感があります。
日曜辺りから、気温が上がっています。
昨日やっと扇風機を出しましたね。
夜が寝苦しいです。

それでも、昼間、玄関に打ち水して、裏の窓を開けると、よく風が通ります。
ひんやりとして冷たい心地良い風です。
これには、エアコンの科学的な風も勝てません。

体の五感を刺激したら、いろいろなものを感じることが出来ます。
耳で風鈴の音を聞いたら、涼しげです。
それでも、やはり目が入る情報が一番強いですね。

先日記事にした朝顔系の花が、金さんに教えて頂いた「ペチュニア」だと知りました。
南アメリカ原産で、和名は「ツクバネアサガオ」と言うようです。
花の名前って、難しいです。

ある女性のインタビューで、子供さんにどんな人に成ってもらいたいですか? という質問に、その中に、「花の名前をいっぱい知っている人になってもらいたい」というのがありました。
花の名を知る人が、なかなかぐれることはないです。
優しい人になるような気がします。

いつも目線を下げて、路傍に咲く花の美しさを、見つけられる幸せは、特別でしょうね。
私も最近、花をよく見ます。
まだ、名前までは覚えることは出来ません。
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家の近くに、玄関先にひな壇のようなところがあって、そこに花を植えられています。
何と言う名前の花でしょう。
愛らしい花に、しばし癒されます。

花というのは、心が癒されます。
茶室にも、花を生けるというのは、それが自然の象徴だと感じます。
少しうす暗い茶室に、花が生けてあれば、そこに目が行きます。

利休居士が、秀吉公を茶室に招く時、露地に咲く朝顔をすべてとってしまい、茶室に一輪の朝顔を生けてあった説話を思い出します。
逸翁美術館所蔵の「一輪」を思い浮かべます。
過去にも記事を書いています。

その折には、古田織部作の銘「長刀」の茶杓のことも書きました。
ちょうど祇園祭と時期に合う話です
奇遇な話の縁もあります。

野に咲く花を見ていると、しばし夏の暑さも忘れますね。
心の持ちようという意味では、「心頭を滅却すれば火もまた凉し」とよく言われる言葉です。
私には、まだまだそんな心の修行は出来ていません。
でも、暑い暑いと言葉に発すると、余計に暑いです。

花を見ている一瞬だけ、夏の暑さも忘れます。
それだけ花には魅力があります。
花と言えば、桜やバラだけでが、花ではありません。
野に咲く花も、花壇に植えてある花も、綺麗に咲いています。

人の人生にも似ています。
誰から、綺麗と言われているために、花も咲いていません。
花が花として咲いているだけで、頑張ったりしていません。

人も日々の暮らしを過ごすだけです。
特別な幸せは、そうありません。
心の安穏に求める暮らしが、穏やかで幸せです。

もうすぐオリンピックですが、やたらに「頑張れ」と声援するのは、意味がないと思います。
選ばれた特別な人間が演技をします。
それ以上頑張れないほど頑張った人達です。

メダルを取るか取らないかは、紙一重です。
頑張れとプレッシャーを楽しめる方も、まれにおいでです。
しかし、普通の人なら、その重圧に潰されます。

花は、頑張って咲いたりとしていません。
自然の摂理の中、花が花として生きているだけです。
「それ以上、頑張らないで」と声援しても良さそうなものです。

少し禅的なものの考えかもしれません。
どこか天邪鬼(あまのじゃく)です。
でも、そのものの見方を変えるだけで、心の安堵を感じることはあります。

1瓶のお酒の量と同じかもしれません。
半分あるということを、まだ半分あるのか、もう半分しかないのか、物事は同じです。
そこにあるのは、心ですね。

1/3の量でも同じですね。
「まだ」なのか、「もう」なのか、量は減っても、同じです。

じゃ、全くなくなった時はどうでしょう。
豚まんのCMで有名な「ある時」「ない時」ですね。
あんなに気分を変えることもないです。
「ない時」は、ない時で、次のある時を思えば、楽しくなります。

こだわっているのは、あなたの心の問題です。
旗が動いたのか、風が動いたのか、そんなことは問題でなく、心の問題だということですね。

人生は楽しむものでなく、味わうものであると、言われた言葉を肝に銘じます。
いいこともあれば、悪いこともあります。
悪い時は、これ以上悪くならないなら、後は「いいこと」しかありません。
そう思えるだけで、心がゆったりします。

花を見ていると、いろんなことを考えていません。
純粋に、花を見ているだけです。
心を無にするという表現が使われます。
心が無になるはずもなく、有であるということを感じないだけです。

夏の暑さも、暑い暑いと常に心に有すれば、いつまで経っても、離れません。
暑くても、暑いと感させない工夫が必要です。
それが音であったり、目で見るものであったりすると思います。

日々の暮らしの中にこそ、ささやかな幸せがあります。

ありがたいとことに、私は仏縁を頂けています。
ありがたいと感謝して暮らしています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、ひな壇に並んだ話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。