いろいろと人生の障害物が、次から次へと前に立ちはだかります。
いっぱいいっぱいと思うことも多いです。
少し行き詰っていますね。
何とかしなければと思えば思うほど、手足に蜘蛛の糸が絡んだように、上手くいかないです。
いっぱいいっぱいと思うことも多いです。
少し行き詰っていますね。
何とかしなければと思えば思うほど、手足に蜘蛛の糸が絡んだように、上手くいかないです。
釈迦さまが、ある時、極楽の蓮池を通してはるか下の地獄を覗き見ておられた時、幾多の罪人どの中に、カンダタ(犍陀多)という男の姿を見つけられた。
カンダタは、生前に悪事を働いた泥棒であったが、一度だけ善い行いを成したことがあった。それは、小さな蜘蛛の命を助けてやったのだ。それを思い出した釈迦は、地獄の底のカンダタを極楽へ導こうと、一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて下ろされた。
カンダタは、その蜘蛛の糸につかまって、昇り始めると、数限りない地獄の罪人達が、その糸を伝って昇ってくるのが見えた。このままでは糸は重さに耐え切れず、切れてしまうだろうと、他の者に降りろと古いはせ落とすると、その糸は、カンダタのぶら下がっている所から切れ、カンダタは再び地獄に堕ちてしまった。
お釈迦さまは、カンダカの自分だけ地獄から抜け出そうとする無慈悲な心に、救いの手を離されたと言うことでしょうね。(Wikipedia参照)
人の世界でもよくある話です。
自分だけ助かろうとする、人間の浅ましい姿です。
人間観察と仏教説話を交えた偉大な文豪短編小説です。
自分だけ助かろうとする、人間の浅ましい姿です。
人間観察と仏教説話を交えた偉大な文豪短編小説です。
菊地寛と言えば、いつも袂(たもと)に空豆を炒った「しょうゆ豆」を入れていたと聞きます。
文豪のおやつという『サライ』1994年の特集号を、本箱から見つけました。
いろいろな文豪の愛したおやつが紹介されています。
明治の文豪と言えば、夏目漱石を思い出します。
漱石は、甘いものが好物であったようです。
特に愛したおやつは、「落花糖(らっかとう)」のようです。
文豪のおやつという『サライ』1994年の特集号を、本箱から見つけました。
いろいろな文豪の愛したおやつが紹介されています。
明治の文豪と言えば、夏目漱石を思い出します。
漱石は、甘いものが好物であったようです。
特に愛したおやつは、「落花糖(らっかとう)」のようです。
当時は、えんどう豆が主流で、南京豆はオシャレな落花糖だったようです。
写真のように、やはり、英国流の紅茶と共に食されていたようです。
写真にある紅白豆は、源氏糖と言うようです。
ちょうど大河ドラマ『平清盛』、源平の紅白に因んだネーミングもいいです。
写真のように、やはり、英国流の紅茶と共に食されていたようです。
写真にある紅白豆は、源氏糖と言うようです。
ちょうど大河ドラマ『平清盛』、源平の紅白に因んだネーミングもいいです。
ピーナッツを使った「バターピ」も、これまた、酒の肴です。
もちろん、甘い落花生のお菓子も、懐かしいです。
もちろん、甘い落花生のお菓子も、懐かしいです。
やはり、文豪と酒豪のイメージですが、おやつにもこだわりがあるようです。
夏目漱石は大変几帳面であったと聞きます。
そうした緻密な計算の上に、小説も書かれていたかと思うと、文豪の作品も違った味わいです。
夏目漱石は大変几帳面であったと聞きます。
そうした緻密な計算の上に、小説も書かれていたかと思うと、文豪の作品も違った味わいです。
おやつも上手に取り入れて、この夏の節電モードを乗り切らないといれません。
頑張らないことも、大変重要です。
水分も喉が渇く前に、こまめに摂取することが、大切です。
頑張らないことも、大変重要です。
水分も喉が渇く前に、こまめに摂取することが、大切です。
日々の暮らしの中にこそ、ささやかな幸せがあります。
ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたいと感謝しています。
ありがたいと感謝しています。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
最後まで、甘い落ちの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。