暑いですね。
暑いのは、気温ばかりではありません。
ロンドンのオリンピックも熱い様子です。
暑いのは、気温ばかりではありません。
ロンドンのオリンピックも熱い様子です。
メダルの獲得に一喜一憂する姿は、時にそんな精神状態じゃ、メダルには届かないと思うことがあります。
勝ちたい勝ちたいばかり、自分の姿がそこにはありません。
メダルは、後から付いてくるものだとも感じます。
勝ちたい勝ちたいばかり、自分の姿がそこにはありません。
メダルは、後から付いてくるものだとも感じます。
何年間も毎日地獄のような特訓の中、寝ても覚めても、その競技の事ばかり考えているのですから、メダルを後一歩で取れなかったのは、悔しいと思います。
実感は出来ませんが、人としてよく分かります。
実感は出来ませんが、人としてよく分かります。
でも、メダルが取れなかったことばかりの悔しさを、済んでしまった過去と思い、気持ちを前に進めないといけないと思います。
メダルに、未練たらたらの姿と、目指す向上心とは、一致しません。
あなたは幸運にも、オリンピックに出られ、もう少しでメダルという所までいけた。
これをラッキー問わずして、何とすると思います。
あなたは幸運にも、オリンピックに出られ、もう少しでメダルという所までいけた。
これをラッキー問わずして、何とすると思います。
あなたがオリンピックに出たことによって、どれほどの方が涙をのんだのか考えれば、皆さん同じ悔しさを感じているはすです。
欲張りです。
欲張りです。
予選で敗退した選手も大勢います。
それも仕方のないことです。
勝負の世界ですからね。
それも仕方のないことです。
勝負の世界ですからね。
結果が出た以上、過去のこだわっても仕方がないと、言ってやりたいです。
特に柔道の選手に多いです。
「道」と付いているからには、精神世界があるはずです。
それが、見えないのが、柔道でなく、JYUDOになってしまっています。
特に柔道の選手に多いです。
「道」と付いているからには、精神世界があるはずです。
それが、見えないのが、柔道でなく、JYUDOになってしまっています。
相撲の決勝戦で負けたからと言って、テレビ中継の前で、ワンワン泣く力士は居ないはずです。
ですから、メダルが取れなかったからと言って、テレビ中継で、ワンワン泣くのは、大変みっともないです。
道という意味の理解されていない選手には、メダルの方から離れていく気がします。
ですから、メダルが取れなかったからと言って、テレビ中継で、ワンワン泣くのは、大変みっともないです。
道という意味の理解されていない選手には、メダルの方から離れていく気がします。
実力があるから、結果が付いてくるとは限りません。
やはり、日頃の精神修練の成果が、こうした大舞台では現れると思います。
それも、人の持って生まれた運です。
この悔しさを静かにバネにして、メダルを獲得した選手も今回のオリンピックには、たくさんおいでです。
いよいよ、暑い8月に突入です。
いつもの禅のカレンダー8月は、「無寒暑」(むかんしょ)です。
天龍寺派管長 佐々木容道老師の書です。
やはり、日頃の精神修練の成果が、こうした大舞台では現れると思います。
それも、人の持って生まれた運です。
この悔しさを静かにバネにして、メダルを獲得した選手も今回のオリンピックには、たくさんおいでです。
いよいよ、暑い8月に突入です。
いつもの禅のカレンダー8月は、「無寒暑」(むかんしょ)です。
天龍寺派管長 佐々木容道老師の書です。
大意
寒い時には寒に徹し、暑い時には暑を徹する事により。寒暑を超越し自らの克服を計る禅僧の境地。
(『碧巌録四十三』)
寒い時には寒に徹し、暑い時には暑を徹する事により。寒暑を超越し自らの克服を計る禅僧の境地。
(『碧巌録四十三』)
うーん、深いですね。
心頭を滅却すれば火もまた涼しの精神でしょうね。
禅の達人の心境です。
心頭を滅却すれば火もまた涼しの精神でしょうね。
禅の達人の心境です。
私は、まだまだダメですね。
夏は暑いし、冬は寒いです。
夏は暑いし、冬は寒いです。
「夏はいかにも涼しきように、冬はいかにもあたたかなるように」
利休居士も、参禅されて大悟されたお方、言い分が違いますね。
この辺が、禅の面白さです。
真逆のことも、これもまた真です。
この辺が、禅の面白さです。
真逆のことも、これもまた真です。
厳しい修行の成果、気づかれたわけです。
素人の私の考えでは、「無寒暑」でも、「有寒暑」でも、同じことだと言えます。
そんなことにこだわること自体無意味です。
素人の私の考えでは、「無寒暑」でも、「有寒暑」でも、同じことだと言えます。
そんなことにこだわること自体無意味です。
厳しい修行をして暑い寒いを耐えてるのも、そんな事お構いなしに、暑いと言っては、エアコンのスイッチを入れ、寒いと言ってエアコンのスイッチを入れても、本来人間が過ごし易い状態、もっと言えば、精神の拠り所の安穏な心の状態であれば、それで同じです。
それなら、私は利休居士の言われるように、夏は涼しく、冬は暖かく過ごします。
それが、私の心の平穏です。
それが、私の心の平穏です。
かと言って、夏と言いながら、「寒い」と言葉を発する程の涼しさも、冬と言いながら、「熱い」と言葉を発するほどの暖かさも必要ないです。
私は、両極端な道は、歩みません。
その中道を進みます。
その中道を進みます。
金銭も名誉も誰でも欲しいです。
そら、私も欲しいです。
南方録にあるように「家は漏らぬほど、食事は飢えぬほどにてたる事なり」と常にと思えば、どんな状況にあっても、幸せを感じます。
そら、私も欲しいです。
南方録にあるように「家は漏らぬほど、食事は飢えぬほどにてたる事なり」と常にと思えば、どんな状況にあっても、幸せを感じます。
貧家の長屋住まいですから、雨が漏らぬ程度の住まいですから、そこは利休居士の言われを守っています。
食事も飢えぬ程度には暮らしています。
時々の晩酌は、セーフでしょうかね。
食事も飢えぬ程度には暮らしています。
時々の晩酌は、セーフでしょうかね。
しかし、何事も固執しないのが、幸せの道なれば、大きな家に暮らそうが、小さな貧家に暮らそうが、あまり変わりはありません。
心の持ちようの問題です。
心の持ちようの問題です。
金持ちだからと言って、日に10食は食べられません。
むしろ病気になります。
むしろ病気になります。
毎日ご馳走では飽きます。
温かいごはんに、温かい味噌汁、そして、野菜中心や魚中心の食事は、毎日でも頂けます。
そして、香の物です。
温かいごはんに、温かい味噌汁、そして、野菜中心や魚中心の食事は、毎日でも頂けます。
そして、香の物です。
俗に言うお惣菜ですね。
またに贅沢するから、特に美味しく感じるのですね。
またに贅沢するから、特に美味しく感じるのですね。
幸せの極意も、この当りにあるのかも知れません。
今思えば、私の質素の暮らしは、数寄者にとっても理想系かもしれません。(そう思っても、本人としては、なかなか微妙です)
今思えば、私の質素の暮らしは、数寄者にとっても理想系かもしれません。(そう思っても、本人としては、なかなか微妙です)
日々の暮らしの中に、幸せを見つけます。
ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたい感謝して暮らしています。
ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたい感謝して暮らしています。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
最後まで、幸せの無感症の話に、お付き合い下さいまて、心よりお礼申し上げます。