''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

鯵の塩焼きを食らう より。

朝の寒さに目が覚めました。
今日の朝は、ひんやりしていました。
すでに、夏ではありません。
気を抜いて、風邪を引きそうになりました。

ここ数日で、朝晩は寒いです。
昼間がまだ暑いくらいに錯覚が、拍車を掛けます。
天の半月も、ほんに秋の空です。

秋は何となく、センチミリミリです。
物悲しいものかもしれません。

「世の中は 月にむらくも花に風 思ふに別れ 思はぬに添ふ」

『うすゆき物語』に出てくる和歌ですね。
人生いろいろありますからね。
ちょっと、どん底気味です。
捨てる神あれば、拾う神もあります。

まだまだ捨てたものではありません。
少し朝から、下げ下げの気分です。
人生いろいろあります。
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先日、鯵を塩焼きにしました。
アロマっ子さんから頂いたすだちも添えます。
すだちの果汁で、鯵の味が、一味も二味もアップします。
青背の魚の臭みも取ってくれます。

鯵は、味がいいから鯵(あじ)と呼ぶようです。
確かに、刺身にしても、たたきにしても、天ぷらにしても、フライにしても美味いです。

池波正太郎氏・鬼平の料理の世界をまとめた『池波正太郎鬼平料理帳』(佐藤隆介編 文春文庫)の中にも、鯵の塩焼きが登場しています。

鬼平の中では、『俄か雨』の中で登場します。
細川峯太郎の失態から始まる話です。
女(お長)でしくじり、急遽、平蔵の薦めで、細川と同じ長屋に住む同心・伊藤清兵衛の娘・お幸(こう)と一緒になります。

しかし、細川の中に、お長への未練が、残りつつ事件解決に向かって後に、長屋でも細川と同じ長屋に住む同心・伊藤清兵衛の娘の会話に、この鯵の塩焼きが登場します。
俄か雨に始まり、俄か雨に終わる物語です。
その頃、細川と妻・お幸(こう)は、・・・・・・。

佐藤氏の話は、昭和30年代の始め頃、学生の主采は鯵だったと書かれています。
値段が安かったですからね。
そんな中、新宿西口の通称「小便横丁」と呼ばれる飲酒店街で、一軒の飯屋があった話あります。

365日、天ぷらを揚げ、カウンターで天丼(50円)を頼して、わかめの味噌汁が10円、ホウレン草のお浸しなどの副菜が10円、100円もあればお大尽気分が味わえたとある。
残りで、歌舞伎町の映画館でナイトショーを30円で楽しめた時代とあると、書き記されています。

美味かったでしょうね。
この時代の物価を10倍に考えても、1000円では、この暮らしをすることは出来ません。
天丼600円、味噌汁100円、ホウレン草のお浸し150円、映画1800円なら、映画の料金だけが異常に高いと言えます。

それだけ、いろんな意味で物価の変動があるのかもしれません。
昭和30年代は、まさにオールウェイズの三丁目の夕日の時代です。
私は、その頃にはこの世に居ません。
もう少し若い世代ですからね。

でも、郷里でも同じような風景は、まだ残っていました。
店先で、天ぷらを揚げていたお店はありました。
油の独特の香りです。
昭和の香りでしょうね。

今なら、京橋辺りや天満辺りには、その雰囲気が少しだけ残っています。
久しぶりに、京橋の「まつい」でも行きたくなりましたね。
鯵の天ぷらも、フライも大好きです。
熱々の鯵の天ぷらに、天つゆでなく、醤油でもソースでもかけて頂きたいです。

後を向かず、前に前に進みます。
そんな事もありますよ。
家の前の道も、きっとあの長安に通じています。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝して生きて行きます。
ありがとさんです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、煙にマッカレ(ル)た話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。