''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

10月のカレンダー 「水急不流月」 より。

昨日の台風も、なかなか凄かったです。
京都は、それほど大きな被害はなかったですが、近畿圏でも大きな被害が出ています。
今頃は、被災地の宮城県あたりでしょうね。
ブログのお友達すいかさんの方は、被害が出ていなければいいのですがね。

 

関東方面も、いろいろ電車が止まったり大変のようでした。
被害が甚大でなければ、いいのですがね。

 

すでに10月となりました。
小学生の時の恩師に、今年頂いた臨済宗の墨蹟のカレンダーも、月捲りしました。
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「水急不流月」(みずきゅうなれどつきをながさず)です。
宇治の黄檗宗萬福寺の管長、岡田亘令老師の書です。
何とも力強い上に、伸びやかな筆使いですね。
なかなかこんな風には、豪気できません。

 

大意
急流に流れる月影は頑として流れない。慌しい日常生活の中で、この月に変わらぬ真理を大事に抱え続けたい。「動中の静」たるゆえんだ。

 

なかなか難しいですね。
動と静、全く対極にありながら、対局するものでなく、物事の摂理そのものである。
人が人であるがゆえに、日々の暮らしを繰り返す。

 

一見無意味なような感じすら感じるが、そうでなく、それが人としての日常の中にある人としての幸せである。
そんな風に捉えています。

 

時間で言えば、100年は長いです。
それは、人が感じる時間であり、自然の中では、一瞬でしかない。

 

「一炊之夢」の話を思い出します。
立身出世を願い、ある宿で若者・盧生(ろせい)と仙人の術を会得した呂翁(りょおう)似合い、ごはんが出来るまで、その老人から枕を借りて、眠りに付いた。

 

すると、美人の娘といっしょになり、難関の科挙の試験に合格して、知事になったり、もっと上の高官になったりして、立身出世をするが、途中で讒言(ざんげん)により死刑になろうとするが、また返り咲き一国を任されるほどの出世を果たして、多くの子供も孫に囲まれながら、80歳過ぎて病死した。

 

ふと目が覚める。まだ、ごはんを炊いているところであった。
若者・盧生(ろせい)が「夢だったのか」と言えば、老人・呂翁(りょおう)は「それが人生だ」と言った。
その後、若者・盧生(ろせい)は、「立身出世とは儚いものだ」と諦めて、老人・呂翁(りょおう)に礼を述べて帰って行ったといいます。

 

立身出世したと言えば、太閤秀吉公でしょうね。
死ぬ数ヶ月前に書いたと言う辞世の句が、思い出されます。

 

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢 」

 

成功者の言う夢とは、そんな夢なのでしょうかね。
生死をかけて、掴んだ栄光も、そこに真実はなかったのかもしれません。
平穏な暮らしの中に、幸せがあると言うことなのでしょう。

 

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝しています。
ありがたいいです。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、消えた落ちの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。