今日も一日、いいお天気でしたね。
3時前に、京都駅周辺に用事があって、出て行くと、観光客が多いです。
やはり、シーズンなんでしょうね。
3時前に、京都駅周辺に用事があって、出て行くと、観光客が多いです。
やはり、シーズンなんでしょうね。
昨晩は、1週間ぶりの熱燗を頂きました。
どうも、肌寒いこの時期には、美味く感じます。
肴は、ブリあら大根です。
どうも、肌寒いこの時期には、美味く感じます。
肴は、ブリあら大根です。
しかし、1時間ほどの煮込んだだけでは、深い飴色大根にはなりません。
もちろん、柔らかく焚けています。
味も、ブリの出汁が鍋にしみています。
関西で言うなら、味がしゅんでいます。
ただ、色が美味しそうに見えません。
イチラーですから、一味唐がらしもフリフリしてみました。
もちろん、柔らかく焚けています。
味も、ブリの出汁が鍋にしみています。
関西で言うなら、味がしゅんでいます。
ただ、色が美味しそうに見えません。
イチラーですから、一味唐がらしもフリフリしてみました。
今晩も、大根をもう一本買って来て、お揚げさんを大きくカットしたものと、一緒に炊くことにしました。
出汁は、ブリあらの出汁を使います。
ですから、今だ未完成です。
出汁は、ブリあらの出汁を使います。
ですから、今だ未完成です。
大根と言えば、生でも焼いても煮ても、当らないありがたい食材です。
それが転じて、当たり役のない役者を、大根役者と言います。
大抵は、見下げた言い方をします。
それが転じて、当たり役のない役者を、大根役者と言います。
大抵は、見下げた言い方をします。
ブリが好きなら、刺身にしても、照り焼きしても、その方が美味いはすです。
それをあえて、ブリ大根を食べる以上、半分以上大根が狙いです。
それをあえて、ブリ大根を食べる以上、半分以上大根が狙いです。
主役を食ってしまう名脇役があって、料理としての映画やドラマがあるはずです。
先日亡くなった大滝秀治さんも、そのお一人です。
大滝秀治さんのお出になった作品は、その演技が光ります。
そして、作品も名作が多いです。
先日亡くなった大滝秀治さんも、そのお一人です。
大滝秀治さんのお出になった作品は、その演技が光ります。
そして、作品も名作が多いです。
もう一度みたくなる演技がそこにあります。
ワインと同じように、年とともにあの味わいが深くなる。
そんな気がしますね。
一言の台詞が、重いですね。
ワインと同じように、年とともにあの味わいが深くなる。
そんな気がしますね。
一言の台詞が、重いですね。
大根が、この年になって、美味くなったと感じます。
少し脂も強い物と合わせると、大根がその旨味を吸い上げて、大根と渾然一体となりますね。
少し脂も強い物と合わせると、大根がその旨味を吸い上げて、大根と渾然一体となりますね。
日本酒もビールも美味いです。
今日は、揚げさんと炊きました。
少し甘い目の味付けにしています。
今日は、揚げさんと炊きました。
少し甘い目の味付けにしています。
どんな状況にあっても、おなたは主人公です。
禅の言葉で言う「主人公」には、深い意味があると思います。
まだまだ修行の身です。
禅の言葉で言う「主人公」には、深い意味があると思います。
まだまだ修行の身です。
アクションシーンも、銃撃シーンもありません。
日々の暮らしの作り返しだけです。
台本もありません。
すべてアドリブです。
人間、一人一人そんな作品の主人公です。
日々の暮らしの作り返しだけです。
台本もありません。
すべてアドリブです。
人間、一人一人そんな作品の主人公です。
恥ずべき行き方は、したくありません。
天のDVDに作品が残りますよ。
人としてどう生きるべきか、それは特別なことでなく、日々の繰返しがあるだけです。
天のDVDに作品が残りますよ。
人としてどう生きるべきか、それは特別なことでなく、日々の繰返しがあるだけです。
ですから、晴れる日もあり、雨の日もあります。
それらすべてが、日々是好日です。
それらすべてが、日々是好日です。
特別なことは、滅多にありません。
それが、幸せと気づくか気づかないだけです。
それが、幸せと気づくか気づかないだけです。
幸せは、遠くにありません。
身近にあるんです。
感謝というメガネをかければ、見えることもあります。
身近にあるんです。
感謝というメガネをかければ、見えることもあります。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝して暮らしています。
ありがたいです。
ありがたい仏縁に感謝して暮らしています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
最後まで、アラ探しの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。