''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

草津良いとこ一度はおいでと言われて、今日は草津に行きました より。

朝から雨音で目が覚めました。
今日は、4時起きです。
すでに眠いです。

草津良いとこ一度はおいで、歌の文句にあるように、草津に何かあると20歳まで、信じていたことがあります。
そう、あの草津は、滋賀県草津だと思っていました。
草津出身の先輩に、草津に何かあるんですか?と尋ねたことがありました。

草津違いです。
あちらは、温泉地です。
こちらの草津は、本陣跡で有名です。
古来、交通の要所でした。
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織田信長公が、足利将軍を助けて上洛した折に、褒美として副将軍の座を勧められた。
もちろん、ご辞退です。
では、その代わりに、堺に代官所草津代官所を置きたいと、申し出て直轄地になった。
将軍は、信長は欲がないと言われたと言います。
ですから、あなたは最後の将軍になったのです。

草津を直轄地にすることは、都の出入りを制限出来る場所でもあります。
ですから、古来街道の要所です。
ここを手に入れたと言うのは、大きいです。

琵琶湖にある幾つかの要所を、最初に手に入れています。
安土もその一つです。
長浜に、坂本もです。
琵琶湖を制することが、都への交通のアクセスを掌握したことになります。

もちろん、海外への出入り口の堺も手に入れたという事は、大きいです。
堺商人に、莫大な税をかけることが出来ました。
それ以上に、鉄砲や武器の調達に、優位に立てたことになります。

信長と言えば、一時、上総介(かずさのすけ)を名乗ります。
その前には、上総守(かずさのかみ)を名乗っていてこともあります。
しかし、僭称だったことが、これで判ります。
常陸国上総国上野国の3国は、親王任国(しんのうにんごく)と言って、親王が国守に任じられた国及びその制度を指します。
親王任国の守である親王は太守と言います。
ですから、上総守と言うのは、実質ないんですよね。

つまり、親王は現地に赴任しませんから、次官である介(すけ)が実質的な長官になります。
守、介、丞、目(さかん)が、地方役人の階級です。

介と聞いて、この時期思い浮かべるのは、上野介です。
有名な御仁は、吉良上野介殿です。
官位は、従四位上・左近衞権少将です。
20万石以上の大大名の賜る官位です。

でも、介(すけ)です。
特別な介でもあります。
高家の家柄ですから、特別な扱いです。
後に、江戸時代では、織田家高家に連なっています。
名門の家柄である必要があったわけです。
そう言う意味では、吉良家は三高家で肝煎でした。

しかし、世間の目は怖いと思います。
何かしたわけでもないのに、赤穂事件では、吉良家が悪でした。
そうなると、幕府も辺鄙な場所に、屋敷替えされられました。
ここが、吉良家討ち入りの最大の好機になったと言えます。

300年過ぎても、そのイメージは変わりません。
吉良の殿様は、名君だったと思います。
領地では、未だに忠臣蔵は見られないと聞きます。
なかなか根が深いです。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝しています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。


最後まで、草津良いとこのままの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。