''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

クリスマスカードが届きました より。

今日も4時過ぎに起床です。
貧乏暇なしとは、よく言ったものです。
じっと、手を見ます。

ここ数日電車を利用しています。
始発電車にも、多くの方が乗られています。
この方々も、4時過ぎには起床して来られたのでしょう。

私ばかりでは、ありません。
上を見ても下を見てもキリがありません。
今ある暮らしに、幸せを感じないと、罰が当たりそうです。
自分の分に合った暮らしがあるだけです。
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今月早い頃に、クリスマスカードが届きました。
真っ赤なカードです。
クリスマスカードもらったのは、中学生か高校生位ぶりです。

外国人の女の子と、文通していました。
もろん、英語でのやり取りでした。
わからないままに、辞書片手に苦戦したものです。

その代わり、英和辞書も和英辞書も引くことに苦痛はありませんでした。
その割に、英語の語学はつかなかったです。

最初に文通したのは、中学1先生でした。
相手はカナダの同級生でした。
イタリア系白人でした。
彼女は、家ではフランス語イタリア語で暮らしていたようです。

中学生になって、中国人の女の子、二人と文通は始めてこともありました。
どちらも、英語です。
時々、中国語を書いてもらっても、中国語の辞書は持っていなかったです。

中学2年生の担任が、中国のクラス対クラスで文通を始めようと、企画されました。
そして、相手が一人一人決められたので、ですから私もその一人です。

クラス毎の文通ですから、クラス写真も交換していました。
自分の相手も、顔は知っていました。
しかし、その写真の為に、私に興味を持たれた女の子から、文通ししようと手紙が来ました。

ですから、中国人の女の子、2人と文通していました。
その頃が、俗に言う「モテキ」だったのかも知れません。
日本人でなく、中国人に人気だったのが残念です。

もちろん、カナダ文通相手とも、続いています。
同時進行です。
基本文通は、1ヶ月に1回ほどです。
中国人の一人の女の子は、高校まで手紙のやり取りをしていました。
カナダ女の子もです。

ですから、クリスマスになると、プレゼントやクリスマスカードも頂きました。
この時期になると、クリスマスカードの交換をしていました。
それ以来ぶりでしょうね。

人生には、いろんな岐路に立ちます。
どちらに進めばいいのか、分からないこともあります。
気持ちの問題もあります。

元の道を引き返すのがいいのか、このまま前に進めばいいのか、やはり分かりません。
私は、仏縁を信じています。
また、いい縁に導かれば、もとの道に元せるはずです。

もちろん、神仏任せでは、道も開きません。
盆の上の水も、一度ひっくり返しても、もう一度水を汲みたいと思えば、水を汲むでしょう。
でも、事故的に、こぼれてしまった水なら、もう一度汲んでくればいいが、相手にこぼされた水は、汲んでくるかどうか、迷いがあります。

もう一度、汲んで来ても、また水をこぼされる可能姓性がありますからね。
一度目は、立ち直れても、二度目にあえてこぼされたら、二度と水を汲んでくる気も、飲む気もしませんから。
気持ちに整理がつかないですね。

少し時間が必要です。
そら、こぼした詫びに、スーパー玉出で、特売の2980円のとらふぐでも、一緒に食べようと言うなら、それはそれで、食べるかもしれません。
カニは、無口になると言いますが、フグは至福の時間を感じられます。
幸福の「ふく」ですからね。

でも、忙しくて、そんな時間も年末年始はないです。
やはり、じっと手を見るだけです。
帰宅してからの手酌酒で、一人で慰労酒を飲み干します。
この時間も、至福です。
フグはなくても、水炊きも豚スキもチリの鍋でも、至福です。

ある時、ない時、どらちも幸せに感じれれば、それで幸せです。
覆水盆に返さずと言いますが、正月「ボン」と言えば、ギャンブルを連想させます。
丁半博打のボンですね。
緋牡丹お龍のボンさばきが懐かしいです。

どうしても、任侠映画のイメージです。
今月の私のブログのサブテーマは、「赤穂浪士」です。
任侠と赤穂浪士の関係のイメージは、薄いです。

しかし、吉良の殿様となると、これが意外に関係あります。
吉良の仁吉と言えば、映画や芝居になりましようね。
吉良の仁吉、本名・太田仁吉、清水次郎長の兄弟分として幕末期に活躍した侠客です。
もともと、武家の出身だったのです。
二代目広沢虎造により、浪曲などでは人気のタイトルですね。

そう名前の通り、仁吉は吉良の出身です。
現在、吉良町では吉良三人衆(他に尾崎士郎吉良義央)の一人として、人気の人物のようです。
正直、どんなくくりかと思いますね。

尾崎士郎は、長編小説『人生劇場』で一世を風靡した小説家です。
吉良の出身のようです。

時代も身分も、バラバラですね。
折しも、吉良の仁吉も、世に言う「荒神山の喧嘩(血闘)」に乗り込んで、喧嘩で吉五郎側は勝利を収めたものの、仁吉は鉄砲で撃たれた上、斬ら(吉良)れて死亡したようです。享年28と言います(ウィキペディア参照)。

因みに、よく間違われるのは、あの方です。

赤城の山も今宵限り、可愛い子分の手前たちとも、別れ別れになる門出だ。略~
俺には、加賀の住人小松五郎吉兼(又は義兼)、お前という強い味方があったのだ。

こちらは、国定忠治さん(新国劇)ですよ。
それも、加賀の住人小松五郎吉兼という刀工は、もともと存在しません。
吉光と兼光の名前の合作でしょうね。
相州五郎入道正宗の音のパクリでしょう。

♪改札口で君のこと いつも待ったものでした 電車の中から降りて来る君を探すのが好きでした~

それは、野口五郎さんの『私鉄沿線』です。
こちらも、もともとも野口五郎岳という山の名前のパクリです。
男と言えば、太郎か、次郎か、三郎か、五郎の音がいいですからね。
でも、『私鉄沿線』を聞くと、野口五郎さんでなく、コロッケさんの顔が浮かびます。
こちらも、やっぱりパクリ繋がりの話に成りましたね。

日々の暮らしの中、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝して暮らしています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日に、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、真っ赤な手紙の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。