''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

大好きな蒸しタコの刺身で、一杯やるか? より。

やはり、朝から寒いです。
既に多くの方が、御用納の年末をお過ごしです。
いやはや、貧乏人は暇なしとは、よく言ったのもです。
今朝も早朝4時に起床です。

始発電車に揺られ揺られしていました。
意外に、始発電車も多くの乗客がおいでです。
人並と言う言葉、それほど普通でなくなったのかもしれません。
年末年始に働く方は多いです。

私も、まだまだ、御用納はありません。
じっと、手を見ます。

最近は、大スーパーも元旦から営業しています。
そこに働く方も、同じく働かれています。
社会は、そうしたものかもしれません。

帰りに稲荷駅で降りると、露天商の屋台の用意がされ始めています。
元旦まで、あと数日まえですが、用意ですね。
晦日から、車が入れません。

伏見稲荷周辺は、大晦日の深夜から、フル稼働状態です。
大勢の参詣者が、深夜から初もうでされています。

そらー、賑やかなことです。
昼間のような勢いです。

人の多い所は、敬遠気味です。
家でゆっくりしていたいです。
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先日の晩酌タイムに、蒸ダコの刺身を頂きました。
もちろん、明石のタコではありません。
外国産のタコです。
意外と歯ごたえもあって、味も抜けていません。
なかなか美味いです。

私の今月のサブテーマは、「赤穂浪士」です。
東京辺りの関東では、ちょっと小バカにする時の怒りの言葉に、「このタコ!!」と言うのがありますよね。
関西では、「アホ」に相当するんでしょうかね。
でも、関西人の言う「アホ」には、愛嬌があります。

何ゆえ、「このタコ!!」と言うのか、過去の記事でも紹介しました。
簡単に言えば、身分制のギャップです。

武士の世界では、特に将軍家に使える武士には、直参旗本と御家人がいます。
他の大名家も同じです。
お目見えできるかできないか、身分の違いがあります。

それが、お目見え以下と、お目見え以上かです。
将軍や殿様に直接目通りできる身分制度の事ですね。
微禄の者は、徒歩などの例外はあるにしても、将軍や殿様にお会いすことも、言葉をかけてもらうこともありません。

ですから、上中級武士のお目見え以上の子供達は、お目見え以下の子供達を、さげすんで「この以下」と侮蔑します。
それじゃと、下級武士のお目見え以下の子供たちは、「このタコ」と言い返します。

えー?
そうです。
イカの対抗するのは、タコですからね。
ですから、いまでも、「このタコ」だけが、残って使われています。
要するに、「このエビ」でも、「このナマコ」でも良かったんですが、子供の知恵で、このタコです。

赤穂浪士の47人の内、31人が100石以上の家の者です。
もちろん、部屋住みの者も、親子勤めの者も、元の石高も含めています。
残り16人が、20石以下の者です。

多分、役職の者以外なら、直接お言葉をしたことのない者とだ考えます。
なのに、忠義という言葉の為に、命を投げ打って、吉良家の討ち入りに参加したことになります。

どちらにして、微禄の者が、一度すると一生、いえ、子孫代々ずっと浪人のままです。
浮き上がる方法はありません。
なら、忠義という名誉のために、討ち入りに参加したのではしないかと思います。
20石程度の生活困窮の暮らしに、殿様に恩義は感じないように思えます。
ただ、当時としては、忠義という言葉が、金ぴかに見えた時代です。

もし、それほど魅力的なら、もっと高禄の者が討ち入りに参加しているはずです。
300石、500石、1000石以上の者なら、今まで高禄を頂いていた恩義は強いはずです。

でも、こうした高禄の方は、ツテがあります。
再仕官のコネクションがありますから、主人を変えればいいだけです。
忠義とは、程遠い存在です。
その意味においても、内蔵助は余程の覚悟があったものと見えます。

大名家の血筋ですから、再仕官は容易なはずです。
無理して、討ち入りに参加する必要はありません。
お家再興を、まず第一に進める。
それで失敗したら、家老としての役目は十分に果たした筈です。
何ゆえ、討ち入りまで貫いたのか、やはりここに成功の要因があったはずです。

内蔵助の喧嘩の相手は、ご公儀、つまり幕府です。
幕府と喧嘩してでも、武士の正義を貫いてみたかったという一種の欲かもしれませんね。
死に花を咲かせてみたかったのでしょうね。
一家老してでなく、武将としての血です。

公儀に向かって、平然と「このタコ」と言って、喧嘩を売ったのが凄いです。
この喧嘩の決論は、幕府も無視できない大問題となったわけです。
時代を超えて、この現代にも問いかけて、「このタコ」と問いかけていますね。

そんな事を考えながら、タコさしで晩酌しました。
なかなか深いお味でした。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝して暮らされて貰っています。

心の三毒を廃し、心静かにに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、世情を無視した話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。