''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

今年も、今日は、やっぱり「喫茶チョ去」(きっさちょこ)です より。

何やら朝から寒いです。
今日は、温かい気持ちの人と、冷たく感じる人がいるでしょうね。
今日は、セントバレンタインの日ですからね。

女性から、男性にチョコレート渡して、その思いを伝えることが出来る日とされています。
いいような、悪いように一日かも知れません。

でも、社会にそんな日が存在することは、いい事だと思います。
それ以上に、社会が平和でないと、そんな事は出来ません。

領土の問題では、日本固有の領土を、不法に侵入したり、不法に占拠したりしている国がありますからね。
そんな事があるにせよ、街中は平和だと思います。
ありがたいいい時代に生まれて来た事に、感謝したいです。

でも、子供の男の子には、社会の勝敗がはっきりと見える日でもあります。
子供の世界は、残酷です。

それを取り繕うとする大人が、そこにいます。
運動会の駆けっこも、多くの学校では勝敗を付けないとも聞きます。
小学生の時には、特にその傾向が強いです。
でも、社会では、必ず勝者と敗者が存在する勝負の世界です。

このバレンタインは、勉強や体育以外で、最初に勝敗がはっきりと見える一日です。
人気の男の子には、多くの女の子からチョコレートが貰えます。
それに反して、不人気の男の子は、チョコレートはありません。

数が多いからいいものでは、ありません。
数に固執するなら、母親や姉妹から貰えるチョコレートも数に入りますからね。
現実の社会の縮図が、このバレンタインでもあります。

でも、小学生か純粋です。
人気者と言っても、カッコイイが、幾つもあります。
勉強、スポーツ、面白さ、一芸、音楽や趣味などで、少し秀でていると、それを好きになってくれる女の子も居ます。

この辺は、やはり救いです。
救いがないのも、学校にすら来ない登校拒否です。
その多くが、やはり、子供の人間関係のいじめの一因があるように感じます。

学校でも社会でも、いじめが大問題になっています。
確かに、いじめは悪です。
しかし、現実には、登校拒否して、学校に行かなくても、いずれは社会に出るんです。
どんな会社でも、組織でも、勝敗が全てだと言えます。
営業成績が、その人の評価に繋がります。

大人の世界にも、現実にいじめがありますからね。
人間関係は、複雑です。
いい意味で、切磋琢磨される組織は、いいですが、不正の温床の組織は、悪い弊害しか存在しません。
上司になっても、部下になっても、なかなかやりにくい問題が、そこにはあります。

熟成された職場なら、本当の意味での大人が居ます。
女性の方が、やはり大人です。

昔いた職場でも、気のつくのおば様に、どうぞとチョコを頂きました。
オレンジピールの大変美味しかったチョコでしたね。
今でもその味が忘れられません。

このバレンタインデーを上手にご利用されていました。
チョコレートが、人間の潤滑油になっていました。

職場だけはありません。
私のブログのお友達からも、幾つかチョコを頂きました。
ありがたいことです。
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美味しそうなチョコです。
今晩の晩酌、ウイスキーが残っていますから、チョコを肴に頂くのもありがたいです。
やはり、男として、こんな中年おやじになっても嬉しいものです。
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少し前に、一番最初のバレンタインに頂いたチョコです。
最初に、頂いたコメントが良かったのでしょう。
長く仲良くして頂いています。
もちろん、素敵な旦那様もおいでです。
機会があって一度お会いしたこともありますが、素敵な夫婦に思えて、少し顎れています。
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今届きたてのチョコレートです。
京都北山の有名なお菓子屋さんのチョコです。
凄く素敵なパッケージです。
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中を開けると、チョコの3重箱です。
桜の形やジンジャーな味わい、レモンタルトも触手が伸びそうです。

前にもらった紅茶のチョコは、今でもしっかりと舌の記憶に残っています。
ありがたいと感謝の気持ちでいっぱいです。
皆さんありがとさんです。

毎年、このバレンタインは、「喫茶チョ去」(きっさちょこ)と挨拶しています。
お茶をされている方なら、チョコレートをお渡しする時、「喫茶チョ去」(きっさちょこ)と言われると、なかなか趣が深いです。

「えー?」聞かれるお茶の師匠なら、逆に「えっ?」と思われるかもしれません。
禅の世界でも、今日は、お茶とチョコレートを出されて、「喫茶チョ去」(きっさちょこ)と言えば、人気者になれそうです。

もともとも、「喫茶去(きっさこ)」は、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)が、寺にやって来た雲水(修行僧)に、言う言葉です。
「この寺に来たことがあるのか?」

あると答えても、ないと答えても、答えは、いつも誰に対しても「喫茶去(きっさこ)」です。
「まあ、お茶でも召し上がれ」という意味のようです。
過去の記事に書いています。

趙州和尚の「喫茶去」には、芳賀氏によれば「既に悟りは得ているのか」という意味と示されている。
(我愛読書『禅語の茶軸 一行物』芳賀幸四郎著 淡交社刊 参照)

悟りは、開けていませんが、お茶とチョコは頂きます。
悟りは、そんな甘くはないですからね。

でも、趙州和尚の「喫茶去」には、いろいろと感じるものがあります。
「お茶でもどうぞ」と言いながら、もっと深いものを見られているような気がします。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝です。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせます様に、祈るばかりです。

最後まで、ありがたい甘い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。