''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

桜のつぼみから繋がる話 より。

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今日も朝から温かでした。
ここ数日の天候で、何を着たらいいのか、解らず厚着のままの私です。

 

それでも、季節は前に前に進んでいます。
仕事場近くで見かけた大きな桜の樹に、桜のつぼみを見つけました。
もうすぐ春です。

 

花をのみ 待つらん人に山里の 雪間の草の春を見せばや

 

有名な藤原家隆卿の和歌が、思い出されます。
この和歌を、常として生きています。
心の琴線に触れる大切な人生の指針を示して、頂いています。

 

禅の言葉に、「南に向いて北斗を見る」という言葉があります。

 

遠くに目標とするモノの到達すべきなら、急がば回れの喩えもあります。
でも、ぶれないことは大切だと思っています。
それにして、家隆卿の最後の「ばや」は、何となく今風に言うなら「どや顔」しているに感じますね。

 

「この世の中、金や名誉だけが、すべてでない」こんなささやかな幸せが、本当の幸せなんだよね。
それも、遠くあるんじゃない。
ほんに、近くにあるんだよ。

 

見えないけれど、心の中にあるんだと言う事を気づかせてくれます。
要するに、心の持ちようですね。

 

と、偉そうなことを言っても、金はあって邪魔にならないから、私も欲しいですよ。
幕末三舟としても有名で、禅の達人でもあった山岡鉄舟は、こんな歌を残しています。

 

 

禅の達人にして、それを前面に出してくるところに、凄いところがあります。
それでいて、銭には固執していないですからね。
やはり、世俗の中にあって、欲を欲として捉えているところに、鉄舟の歌に共感できます。
まだまだ、私は欲深い人間ですよ。

 

でも、なければないと知恵を使って、工夫して生きています。
ですから、私なら、こう歌を記します。

 

銭あれば あるにまかせて ほしくなるなければないで 猶知恵つかう

 

どうでしょうね。

 

そうこうすれども、自然と春になります。
春の来ない冬はないと言いますよ。

 

東日本大震災の被災者の方も、一日も早く春が来る事も祈ります。
日常の暮らしが取り戻せるといいですね。
何もなかった日常の暮らしが、本当はもっとも幸せだったと感じておられると思いますね。

 

桜のつぼみを見つけたことで、一気に春が身近に感じられました。
前日の大阪城公園で、森之宮側の入り口に咲いていたのは、「すもも」の花でした。
綺麗でしたね。

 

ももと言えば、百とも書きます。
数々ある草の中でも、桜は特別視されていますね。
数々の花の事をさして、百種(ももくさ)と呼ばれます。
百種(ももくさ)という言葉は、万葉集にも出てくる言葉のようです。

 

百と言えば、多いと言う意味でもあります。
百話と言いながら、九十九話しかない事も多いです。
まだまだ、続くよという意味合いです。

 

落語の噺にも、百の出てくる噺があります。
落語「百川」(ももかわ)ですね。

 

百川は、江戸時代後期に隆盛した江戸浮世小路にあった有名な料理屋さんです。
もう一軒、江戸時代に隆盛を極めた料理屋さんに「八百善」という料理屋さんもありました。

 

幕末、あの黒船でやって来たらペリー提督を、この百川と八百善が、料理を提供したと聞きます。(諸説あります。八百善は関与していなかったと言う説明もあります。ただ、ペリーが江戸の町に入ってきて、八百善に来たかったようです。それほどに有名だったのでしょう。)
百川がこの仕事を、2000両で請負って、300人分の膳を作ったと聞きます。
その2000両と言えば、1両を10万円に換算したとしても、現代の価値すると約2億円近くなりますからね。

 

ぺリー様様、黒船様様だったかもしれません。
それでも、しくじれば、罪科を受けて、死罪になったかもしれない大仕事です。
でも、江戸を代表するような料理屋さんしか、接待できませんから、仕方ないです。

 

この百川が、作らせた噺が、落語「百川」です。
スポンサーというか、CM広告ということになります。
寄席でやられたら、一気に「百川」という名が、有名になりますからね。
一度、行ってやろうと思うお大尽も居るかもしれません。

 

噺は、この料理屋『百川』に奉公人としてやって来た田舎者の百兵衛さんです
主人も、名前に百が付くので、これも何かの縁だと、気乗りです。
そんな中、二階のお客が店の者を呼んでいます。

 

ただ、女中が皆髪結いさんが来ているので、髪を解いてしまって、出ることが出来ない。
そんな中、主人に言われて、百兵衛さんが、用を尋ねに参ります。

 

かなり田舎の訛りがひどくて、お客様との会話が通じない。
ただ、解るのは、最後の「ぴぇいー」だけです。

 

百兵衛さんが、お客さんに対する挨拶が、「あたくし、しじんけのかけぇにんでごぜぇまして(私、主人家の抱え人でございまして)・・」という言葉を取り違えたわけです。
つまり、「私、四神剣の掛け合い人でございまして・・」という風に聞き間違われてしまったから、話がごちゃ混ぜになったのが、前半部分です。

 

後半にでは、三光新道の常磐津の師匠歌女文字(かめもじ)を呼んでここいと言われたのに、行った先の町内で、外科医の鴨地(かもじ)玄林先生を教えられた。
そこでした挨拶が、「河岸の若い連中が今朝がけに四、五人来られやして・・」と言うのを、訛っているので、「河岸の若い連中が袈裟懸けに四、五人斬られれやして・・」と聞いたから大騒ぎとなったという噺です。

 

最初の四神剣の話を落語の枕にするのが、この落語の決まりのようです。
四神剣とは、祭りの時に、東西南北の四方の神を祀り、上に剣の着いた旗で、年番で町内持ち廻りで預ったことが、話の前提です。
この意味が解らないと、前半の落語が解らないことになります。

 

四神剣(しじんけん)と主人家(しじんけ)という言葉遊びです。
この田舎風のしゃべりと、「ひぇいー」とか、「ぴぇいー」とか言う返事の仕方が、噺を盛り上げます。
この辺りの客との会話が、笑いのつぼと言うことになります。

 

桜の「つぼみ」と話の「つぼ」というつぼ違いの話になったようです。
それこそ、私の思うつぼというオチで、今日の話も終わりです。
♪ちゃりん ちゃんりん でんでん~

 

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝して、暮らさせてもらっています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、庶民の雑魚な話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。