''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ほうれん草のお浸し、ごま添えて より。

何やら春めいて、鴨川の辺りの桜も、伏見の疏水の桜も、6分から8分咲でしょう。
今日は、天気が良ければ花見日和だったと思います。
少しどんよりしていました。
私は仕事でしたから、スクーターで鴨川と疏水の桜を遠くから眺めただけの桜の花見でした。

いい感じです。
とは言え、体調は最悪です。
峠は、超えたと思います。

仕事にも差し支えがありそうです。
やばいです。
仕事の上で、必要なのは情報の共有です。

俗に、ほうれんそうと言います。
報告・連絡・相談の3つの出来事を、ほうれんそうと呼びます。
蜜に取れた組織は、強いと言えます。

どんな社会でも、完璧はありません。
失敗を隠すより、それを乗り越えた方が、いいに決まっています。
失敗は、必ず起こるものです。

その時、過去の教訓を活かせるかですね。
些細なんこともでも、情報を蜜にして、より大きな失敗をカバー出来るかでしょう。

我が家でよくする常夜鍋の為に、ほうれん草が置いてありました。
それなら、少し多い目に茹でて、残った所を、ほうれん草のお浸しにしました。
鍋がポン酢なら、だし醤油で頂くのもいいです。
ヤマサの昆布出汁をかけるのもいいです。
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この日は、常備しているごまを振りました。
ごまの香りが食欲をそそります。
体にもいいので、何にでも入れています。
もちろん、常夜鍋のポン酢にもごまを入れています。

うどんやラーメンなどの麺類にも、必ず入れています。
食欲をそそります。

ラーメンなら、懐かしい定番のサッポロ一番塩らーめんにも、ごまが入っています。
あのイメージです。
健康語録「まごはやさしい」を守っています。

ほうれん草程、何にでもあるものは、ありません。
洒落たラーメン屋なら、ラーメンのトッピン具に、ほうれん草をいれることがあります。
洋食屋さんでも、温かいお皿の盛りつけには、味を付けたペンネやスイートキャロット、そしてバターソテーしたほうれん草を盛り付けることが、よくあります。

それ以上に、冷凍モノが手頃な価格で、安定供給出来ることにあると思います。
ほうれん草は、値段の変動が激しいですからね。

ほうれん草と言えば、アニメのポパイです。
ほうれん草の缶詰は、未だ食べたことがないですが、あのイメージで子供の頃から、ほうれん草は大好きでした。

郷里の母の味は、大抵はお浸しか、玉子とほうれん草の炒め物が多かったです。
それに、鍋です。
ポン酢との相性もいいです。
私の中では、オールマイティです。
マイティと言えば、あの国際プロレスで活躍したマイティ井上さんを思い出します。

あの頃が一番プロレス華やかり頃でした。
月曜日の7時からテレビ放映です。
あの頃、新日本、全日本といい、まさにゴールデンタイムには、プロレスの時代でしたからね。
やはり、一番いい昭和の香りがしていました。

今やプロレスと言えば、深夜タイムか契約番組になりますね。
熱狂的なファンは居るものの、世の中の認知は今ひとつです。

それにエース不在かもしれません。
カリスマ性のある絶対のエースが、いれば強いかもしれません。
しかし、そうなると、経営がワンマンになって、親密な「ほうれんそう」も必要なくなりますからね。
経営がワンマンになっても、首脳陣ががっちりと緻密な連絡を取り合えば、これほど強固な組織はありません。
昔のどこかの組織みたいです。

昔と今は違いますからね。
その昔、とある組織の長が、一日水上警察署の署長をされたことがありましたね。
今でも、そんなことに触れることもタブーです。
当時は、そんな御法度もあったんですよね。(実業家としての顔としてならセーフ?)
しかし、国内は外国組織の横暴に難儀していた時期ですからね。

国内を救ってくれたと言う意味では、もっと評価が高くてもいいはずです。
フロレスや大きな興行には、こうしたフィクサーの存在が必要不可欠です。
功罪はありましょうが、正義が本当に善とは限りません。

何を持って善であり、何を持って悪かは、相対的なものです。
仏の前では、すべてが善人であり、またすべてが悪人です。

何かの命を奪わずに、一日たりとも生きていけません。
それが、動物か植物かの差があるだけです。
それが人間の業でしょうね。

今日生きていることに、感謝です。
今日生かされていることに、感謝です。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝しています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮せますように、祈るばかりです。

最後まで、草食系の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。