''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

天の橋立 ちりめん餅を頂きました より。

帰宅しようとか思いきや、激しい雨で30分ほど雨宿りして、帰って来ました。
久しぶりの1時間に90mm超えの豪雨です。
まさしくゲリラ雨です。

少し調べてみると、ゲリラ( guerrilla)は英語なんですね。
ゲリラは、つまり、ゲリラ戦とは、予め攻撃する敵を定めず、戦線外において小規模な部隊を運用して、臨機に奇襲・待ち伏せ・後方支援破壊等の攪乱や攻撃を行う戦法、またはその戦法が用いられた戦闘を指すとあります。(ウィキペディア参照)

確かに、どこに出没するか解らない、局地的な雨の降り方からすれば、まさに的を得た表現だと思います。
逆に名所の名前を知っても、それが何処にあるのか解らない事も多いです。

京都に海がないと思われている方も、世の中には多いです。
そんなことはありません。
日本三景の一つ「天の橋立」があります。
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先日、お土産を頂きました。
ちりめん餅と言うのは、宮津市の梅花堂の「ちりめん餅」です。
小豆練あん、白練あんの二色入りで、 丹後縮緬の肌ざわりをイメージしたお餅と記されていました。
うーん、何やらいい肌さわりです。

少し変わっていて、なかなか美味いです。
ご馳走様でした。

ちりめん問屋と言えば、「越後のちりめん問屋の隠居・光右衛門」を名乗ってお忍びで世直しの旅に出るのは、水戸黄門様こと、水戸光圀公です。
また、越後領内に入ると「丹後のちりめん問屋の隠居」などと名乗っておられましたね。
なかなか臨機応変な対応に、楽しんで見ておりました。
丹後と言えば、京都府の天の橋立が有名です。

天の橋立と言うと、百人一首の小式部内侍の和歌「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」と言うのが思い出します。
小式部内侍のお母さんは、あの有名な和泉式部さんですね。
ですから、「小」式部の字が入っていると聞いたことがあります。

「まだ文も見ず」は、夫の赴任地・丹後のお母さんからの手紙であり、その丹後の天の橋立ちも行ったことがないのに、大江山を越えて、近くの生野(京都府亀岡市内の古地名のよう)へと向かう道のりですら行ったことがないの、言い回しなんですね。

よって、ふみも見ず、つまり、手紙も見たことがないし、踏み込んだことがない土地と言う、二つの意味が組み込まれていると言う事なんでしょう。

生野と言えば、兵庫県生野銀山の生野かと、ずっと思っておりましたよ。
わざわざ遠回りして、天の橋立を見にいくのかと、思っていました。(笑)
とんだ「いくの」違いです。

とは言え、生野と行く野、文と踏みの掛詞、それに、「ふみ」と「橋」は「道」の縁語であるとも記されています。
なるほど、突然、天の橋立が出来くる意味が、解かりました。

私にも、道には縁があります。
もちろん、ありがたい仏縁です。
日々生かさせ貰っています。

それなのに、不平不満を心抱く、心の三毒に悩まされています。
まだまだ、修行が足りません。

自分の分にあったささやか日常の幸せが、ここにあるだけですね。
ありがたい仏縁に感謝して、暮らさせて貰っています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、飛龍のように、何処にいくのって話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。