いいお天気と言うより、汗ばみます。
気温の変化に、首が悲鳴を上げます。
また一気に気温が下がれば、体が順応しない年になってしまいました。
気温の変化に、首が悲鳴を上げます。
また一気に気温が下がれば、体が順応しない年になってしまいました。
私の方の用意は、豚とイカの入ったミックスソース焼きそばです。
中華そばは、明城の太い麺です。
パスタは細め、焼きそばの麺は太めが好きです。
ソースによく絡みます。

豚肉は、脂肪控えめのロース肉です。
イカは、はくと丸から手に入れた「日本海 すめる 一夜干」を使いました。
一夜干しのスルメといっても、汐も薄く、身は厚く、通常の生イカとそれぼと変わりがありません。
一夜干しした分、スルメイカの味が濃くなっています。
中華そばは、明城の太い麺です。
パスタは細め、焼きそばの麺は太めが好きです。
ソースによく絡みます。

豚肉は、脂肪控えめのロース肉です。
イカは、はくと丸から手に入れた「日本海 すめる 一夜干」を使いました。
一夜干しのスルメといっても、汐も薄く、身は厚く、通常の生イカとそれぼと変わりがありません。
一夜干しした分、スルメイカの味が濃くなっています。
私のような酒呑みには、大変重宝しています。
この日のランチも、二人分の豚肉とイカを用意して、キャベツの一緒に、中華そばと炒めました。
中華麺も、普通の中華麺で、焼きそば用に油の絡めたものではありません。
ですから、当然焦げやすいです。
この日のランチも、二人分の豚肉とイカを用意して、キャベツの一緒に、中華そばと炒めました。
中華麺も、普通の中華麺で、焼きそば用に油の絡めたものではありません。
ですから、当然焦げやすいです。
その分、フライパンに引いた油を気持ち多めに入れました。
それでも、さっと豚肉とイカに火を入れながら、固くならないように気を付けます。
そこにキャベツを軽く油になじませて、最後に中華麺の投入です。
この時、粉末の昆布出汁を振り入れました。
それでも、さっと豚肉とイカに火を入れながら、固くならないように気を付けます。
そこにキャベツを軽く油になじませて、最後に中華麺の投入です。
この時、粉末の昆布出汁を振り入れました。
焼きそばと言っても、出汁が効かないと旨みが薄くなります。
あとで、鰹節も天に振りますので、鰹と昆布の味の相乗効果を狙います。
もちろん、ソースの複雑なスパイスの味も、これらの3乗4乗味の相乗効果をより一層高めます。
あとで、鰹節も天に振りますので、鰹と昆布の味の相乗効果を狙います。
もちろん、ソースの複雑なスパイスの味も、これらの3乗4乗味の相乗効果をより一層高めます。
これに、豚肉とイカとキャベツの旨みが、ぎゅっと中華麺に絡んで、これまた美味いです。
天に降った鰹節と青のり代わりのパセポンも、より一ソース層焼きそばの風味を高めます。
即席で作った割には、美味いです。
意外な食べ方を発見です。
天に降った鰹節と青のり代わりのパセポンも、より一ソース層焼きそばの風味を高めます。
即席で作った割には、美味いです。
意外な食べ方を発見です。
相方の作ったグラタンをこの焼きそばに少し絡めて食べても、これまた美味いです。
東山五条辺りの焼きそばの名店「おやじ」では、カレー粉を好みで降っていましたからね。
確かに、カレー風味も悪くないし、ホワイトソースのチーズ風味も、焼きそばには合います。
意外な発見です。
東山五条辺りの焼きそばの名店「おやじ」では、カレー粉を好みで降っていましたからね。
確かに、カレー風味も悪くないし、ホワイトソースのチーズ風味も、焼きそばには合います。
意外な発見です。
そんな事を喋りながら、ランチタイムをしていると、少しして家がグラグラしました。
グラタン食べていたから、グラグラの実の能力が発揮したのかと思うくらい、揺れましたね。
すぐに、メールで地震情報がやって来ました。
グラタン食べていたから、グラグラの実の能力が発揮したのかと思うくらい、揺れましたね。
すぐに、メールで地震情報がやって来ました。
「へいじょうしん」と読まずに、「びょうじょうしん」と読みます。
「へいじょうしん」と「びょうじょうしん」とは違います。
「へいじょうしん」とは、いつものようにという意味です。
緊張などする時には、いつものようにという意味で、「へいじょうしん」でと戒めや勇気付けます。
「へいじょうしん」と「びょうじょうしん」とは違います。
「へいじょうしん」とは、いつものようにという意味です。
緊張などする時には、いつものようにという意味で、「へいじょうしん」でと戒めや勇気付けます。
しかし、似ているようなれど、「びょうじょうしん」は、何もしない、つまり作為しないという意味です。
ああしようと、こうしようと、あえて作為しないことです。
言うのは簡単です。
ああしようと、こうしようと、あえて作為しないことです。
言うのは簡単です。
ニュースで体操選手のメダルラッシュに喜んでいます。
金メダルを史上最年少の17歳で獲得した白井健三さんのニュースに驚いた次第です。
それにしても、全く緊張していなかったみたいな発言に、流石だと思いましたね。
金メダルを史上最年少の17歳で獲得した白井健三さんのニュースに驚いた次第です。
それにしても、全く緊張していなかったみたいな発言に、流石だと思いましたね。
かつて日本のお家芸と言えば、柔道、体操、水泳などでしたからね。
すべて、自己との戦いであるはずです。
いつもの通りしていれば、きっといい結果が出ると言われますが、そのいつもが出ません。
緊張しますからね。
すべて、自己との戦いであるはずです。
いつもの通りしていれば、きっといい結果が出ると言われますが、そのいつもが出ません。
緊張しますからね。
特に相手のある柔道は、特に難しいはずです。
美空ひばりさんの『柔』の歌詞の中にも、それらを見つけられます。
勝とうと思う心があると、逆に負けると言うことです。
つまり、「びょうじょうしん」の作為をしたからですね。
勝ち負けは当然のことですが、普段通りのことをすると思えば、いつものようにの「へいじょうしん」と変わりません。
美空ひばりさんの『柔』の歌詞の中にも、それらを見つけられます。
勝とうと思う心があると、逆に負けると言うことです。
つまり、「びょうじょうしん」の作為をしたからですね。
勝ち負けは当然のことですが、普段通りのことをすると思えば、いつものようにの「へいじょうしん」と変わりません。
心の中で考えるのでなく、体がそれらを覚えています。
その為にして来た苦しい練習です。
練習するときに、しっかり作為せずに、練習することが大切だと思います。
その為にして来た苦しい練習です。
練習するときに、しっかり作為せずに、練習することが大切だと思います。
勝つと思う気持ちが、無用な雑念が邪魔します。
まして、勝つために、時間稼ぎなど余計に相手に隙与えるだけです。
まして、勝つために、時間稼ぎなど余計に相手に隙与えるだけです。
でも、作為しないと言うのは、簡単なようで難しいことです。
作為しないと言うのは、何もしないというのではありません。
作為しないと言うのは、何もしないというのではありません。
例えば、作為しないというのが、難しいというのを絵で例えてみると分かり易いです。
あなたに、3歳児の書いた絵を描いて欲しいと、あなたに画用紙とクレヨンを与えたとします。
あなたに、3歳児の書いた絵を描いて欲しいと、あなたに画用紙とクレヨンを与えたとします。
あなたが考える3歳児の絵は、あなたの固定しているイメージです。
それは、例えば、太陽が、真っ赤に、公園で、家族の遊んでいるような絵です。
それは、例えば、太陽が、真っ赤に、公園で、家族の遊んでいるような絵です。
でも、3歳児には固定概念がありません。
青い太陽を描くかもしれませんし、お父さんのメガネの色は、ピンクかもしれません。
お父さんのメガネは、ピンクのメガネではなかったとしてもです。
お父さんにヒゲはありません。
でも、ヒゲがあった方が格好良いと思って、描くかもしれません。
青い太陽を描くかもしれませんし、お父さんのメガネの色は、ピンクかもしれません。
お父さんのメガネは、ピンクのメガネではなかったとしてもです。
お父さんにヒゲはありません。
でも、ヒゲがあった方が格好良いと思って、描くかもしれません。
写実的に描くものではありません。
3歳児の絵を作為して描くことは、如何に難しいかを考えれば、作為しないと言うことが如何に難しいか分かります。
3歳児の絵を作為して描くことは、如何に難しいかを考えれば、作為しないと言うことが如何に難しいか分かります。
しかし、仏の禅の言われる「平常心(びょうじょうしん)」は、ありのままの日常と、私は捉えています。
特別なことでなく、人として日常生活をなすことすべてにあると考えます。
自分の心をしっかり捉えて、歩むことです。
特別なことでなく、人として日常生活をなすことすべてにあると考えます。
自分の心をしっかり捉えて、歩むことです。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。
最後まで、ホワイトソースとミックスした話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。