''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

豚とイカの入ったミックスソース焼きそばを作ってみました より。

昨日といい、今日といい、30℃近い夏日です。
うーん、久しぶりの残暑が、体に応えます。
昼間から発泡酒が呑みたくなる気分が、衝動的に強くなります。

いいお天気と言うより、汗ばみます。
気温の変化に、首が悲鳴を上げます。
また一気に気温が下がれば、体が順応しない年になってしまいました。

とは言え、昨日の日曜日には、ランチタイムを家で過ごしました。
スパゲッティーの入ったグラタンの差し入れを頂きましたからね。
それだけでは、足りませんので、私もランチの用意をしていました。

私の方の用意は、豚とイカの入ったミックスソース焼きそばです。
中華そばは、明城の太い麺です。
パスタは細め、焼きそばの麺は太めが好きです。
ソースによく絡みます。
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豚肉は、脂肪控えめのロース肉です。
イカは、はくと丸から手に入れた「日本海 すめる 一夜干」を使いました。
一夜干しのスルメといっても、汐も薄く、身は厚く、通常の生イカとそれぼと変わりがありません。
一夜干しした分、スルメイカの味が濃くなっています。

このするめの一夜干しも、山陰の海の幸・山の幸 直送便 はくと丸が提供する商品です。
身の部分だけでも、30~40センチ、足のゲソも入れると、40~50センチはあろうかという大きなイカです。

この大きなイカ4枚入って、1800円ほどの値段なら、冷凍しても使い勝手は、いろいろと楽しめます。
身とゲソを小分けにして、1回に使える分だけ解凍して使っています。

私のような酒呑みには、大変重宝しています。
この日のランチも、二人分の豚肉とイカを用意して、キャベツの一緒に、中華そばと炒めました。
中華麺も、普通の中華麺で、焼きそば用に油の絡めたものではありません。
ですから、当然焦げやすいです。

その分、フライパンに引いた油を気持ち多めに入れました。
それでも、さっと豚肉とイカに火を入れながら、固くならないように気を付けます。
そこにキャベツを軽く油になじませて、最後に中華麺の投入です。
この時、粉末の昆布出汁を振り入れました。

焼きそばと言っても、出汁が効かないと旨みが薄くなります。
あとで、鰹節も天に振りますので、鰹と昆布の味の相乗効果を狙います。
もちろん、ソースの複雑なスパイスの味も、これらの3乗4乗味の相乗効果をより一層高めます。

これに、豚肉とイカとキャベツの旨みが、ぎゅっと中華麺に絡んで、これまた美味いです。
天に降った鰹節と青のり代わりのパセポンも、より一ソース層焼きそばの風味を高めます。
即席で作った割には、美味いです。
意外な食べ方を発見です。

相方の作ったグラタンをこの焼きそばに少し絡めて食べても、これまた美味いです。
東山五条辺りの焼きそばの名店「おやじ」では、カレー粉を好みで降っていましたからね。
確かに、カレー風味も悪くないし、ホワイトソースのチーズ風味も、焼きそばには合います。
意外な発見です。

意外な組み合わせに、「がっかりだよ!」なんて、桜塚やっくんみたいなコメントは出ません。
なかなかショッキングな訃報のニュースに、驚くばかりです。(ご冥福を祈りたいです)

そんな事を喋りながら、ランチタイムをしていると、少しして家がグラグラしました。
グラタン食べていたから、グラグラの実の能力が発揮したのかと思うくらい、揺れましたね。
すぐに、メールで地震情報がやって来ました。

大阪北部の震源でしたが、京都までも、強く感じた地震でしたね。
被害のなかったことを祈ります。

地震などの災害が遭った時こそ、落ち着かないといけないです。
禅の言葉、禅語に「平常心是道」(びょうじょうしんこれどう)と言うのがあります。
何度もこのブロクでは紹介しています。

「へいじょうしん」と読まずに、「びょうじょうしん」と読みます。
「へいじょうしん」と「びょうじょうしん」とは違います。
「へいじょうしん」とは、いつものようにという意味です。
緊張などする時には、いつものようにという意味で、「へいじょうしん」でと戒めや勇気付けます。

しかし、似ているようなれど、「びょうじょうしん」は、何もしない、つまり作為しないという意味です。
ああしようと、こうしようと、あえて作為しないことです。
言うのは簡単です。

ニュースで体操選手のメダルラッシュに喜んでいます。
金メダルを史上最年少の17歳で獲得した白井健三さんのニュースに驚いた次第です。
それにしても、全く緊張していなかったみたいな発言に、流石だと思いましたね。

東京オリンピックには、活躍が期待されるだけに、今上に注目されます。
ただ、マスコミも、折角の逸材を潰すような無用な取材は止めてもらいたいですね。

かつて日本のお家芸と言えば、柔道、体操、水泳などでしたからね。
すべて、自己との戦いであるはずです。
いつもの通りしていれば、きっといい結果が出ると言われますが、そのいつもが出ません。
緊張しますからね。

特に相手のある柔道は、特に難しいはずです。
美空ひばりさんの『柔』の歌詞の中にも、それらを見つけられます。
勝とうと思う心があると、逆に負けると言うことです。
つまり、「びょうじょうしん」の作為をしたからですね。
勝ち負けは当然のことですが、普段通りのことをすると思えば、いつものようにの「へいじょうしん」と変わりません。

心の中で考えるのでなく、体がそれらを覚えています。
その為にして来た苦しい練習です。
練習するときに、しっかり作為せずに、練習することが大切だと思います。

勝つと思う気持ちが、無用な雑念が邪魔します。
まして、勝つために、時間稼ぎなど余計に相手に隙与えるだけです。

でも、作為しないと言うのは、簡単なようで難しいことです。
作為しないと言うのは、何もしないというのではありません。

例えば、作為しないというのが、難しいというのを絵で例えてみると分かり易いです。
あなたに、3歳児の書いた絵を描いて欲しいと、あなたに画用紙とクレヨンを与えたとします。

あなたが考える3歳児の絵は、あなたの固定しているイメージです。
それは、例えば、太陽が、真っ赤に、公園で、家族の遊んでいるような絵です。

でも、3歳児には固定概念がありません。
青い太陽を描くかもしれませんし、お父さんのメガネの色は、ピンクかもしれません。
お父さんのメガネは、ピンクのメガネではなかったとしてもです。
お父さんにヒゲはありません。
でも、ヒゲがあった方が格好良いと思って、描くかもしれません。

写実的に描くものではありません。
3歳児の絵を作為して描くことは、如何に難しいかを考えれば、作為しないと言うことが如何に難しいか分かります。

しかし、仏の禅の言われる「平常心(びょうじょうしん)」は、ありのままの日常と、私は捉えています。
特別なことでなく、人として日常生活をなすことすべてにあると考えます。
自分の心をしっかり捉えて、歩むことです。

家の前の道も、長安に通じていると信じて、日々歩んでいます。
それが、「什麼の道でない」と言われても、どこでもドアは、どこにもないんです。
日々の暮らしの中に、仏の道があるだけです。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

最後まで、ホワイトソースとミックスした話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。