''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

7&i ピスタチオをつまみに、晩酌タイムです より。

雨がよく降ります。
朝も、帰宅して来た際も、降っています。
スクーターで移動していますから、雨が降れば、カッパを愛用しています。
バイク用ですので、普通のカッパよりは、着易くなっています。

何があるか分からないので、スクーターには、必ずカッパは積んでいます。
大抵のスクーター愛用者なら、用意されているはずです。

それでも、雨が降れば視界が悪くなります。
その分、神経も使います。
用心の上にも用心ですね。

ブログを書いて、シャワーを浴びれば、気持ちも落ち着きます。
よく聞かれることに、よくブログを書くことがありますよねって、事があります。
定型句のように、よく聞かれます。

毎日、ごはんを食べて疲れませんか? 聞く人もいないのと同じです。
毎日の食事と同じです。
食欲のある日もあれば、ない日もあります。

それでも、何がしら口にはされますよね。
それと同じです。

でも、モノを書くと言うのは、意外に大変です。
冷蔵庫に食材があれば、ごはんのおかずを作れます。
材料がなくては、ごはんになりません。

私は、日常の中で、ささやかな良かったを探しています。
かんとうしょうえの「よかった探し」です。

毎日の中、そんな特別な幸せはありません。
でも、目線を下げて暮せば、いくらでもあります。

毎日の生活の中で、ごちそうはなかなか出ません。
出ないから、またにごちそうを頂くと、嬉しいわけです。
まさに、あの豚まんのCMのある時ない時です。

あれば、あれで、喜んで頂くだけです。
ないなら、次にある時を楽しみすれば、いいだけです。

とは言え、人の強欲さが、これを邪魔します。
あればあれで欲しくなるし、なければないでなお欲しくなると、禅の達人の域をもう一歩踏み込めば、抹香臭くない鉄舟の姿にも、達するのかもしれません。
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先日、コンビニで、7&i ピスタチオ(150円)を購入です。
私は、この7&i ピスタチオが好きなんです。
ナッツ類は好きですが、どうも殻付きのピスタチオ味が好きですね。

こうしたつまらないと思われるモノも写真に撮ります。
これが、日常の暮らしです。
とりあえず、写真をと撮ります。
メモのように、写真を撮ります。

この写真があれば、こんな7&i ピスタチオをでも、ブログ記事になります。
これをつまみに、発泡酒の極ゼロか、ニッカブラッククリアのウイスキーソーダ割で、晩酌しています。

これが、毎日ブログを書く秘術です。
これなら、誰でも下準備出来ます。
あとは、これに何やら思う事を、書き添えるだけです。
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ただ、写真と言っても、買って来た7&i ピスタチオをのパッケージだけでは、寂しいことがあります。
そんな時は、小皿に盛りつけるのも楽しいです。
ささやかな楽しみです。

もちろん、晩酌タイムも、この上に楽しいです。
ささやかな「良かった」を探せば、これも楽しい日常です。
少しだけ、幸せを感じます。
一人呑む手酌の酒は、慰労酒です。

もちろん、刺身を肴に、燗酒を呑み、酌はタボ(美人)がしてくれると、もっと嬉しいでしょう。
すべても、望んでも仕方ないです。
そこには、寂しさしかありません。

ナッツの乾き物に、発泡酒ウイスキーソーダ割とくれば、手酌の酒でも十二分です。
これ以上の幸せの境地はありません。

ピスタチオの割れたと言うか破れた殻を、覗きます。
何か見えそうです。

禅の言葉、禅語の中に、「破沙盆(はさぼん)」と言うのがあります。
南宋の密庵咸傑(みったんかんげつ)の名を、不朽にさせめた一句と聞きます。

師の応庵曇華(おうあん どんげ)が、その悟境を探ろうと「如何なるか、是れ正法眼」(汝の今の心境はどうか)との問いに、即座に「破沙盆(はさぼん)」と応じた。
これにより、彼を法嗣に決めたとようです。(『禅語の茶掛 一行物』芳賀幸四郎著 淡交社刊 参照 抜粋)

すでに迷いのない大悟を得られていたようです。
「破沙盆(はさぼん)」とは、役に立たなくなったすり鉢の事のようです。
刃先が丸くなって、錐の役目が出来なくなった「閑古錐(かんこすい)」と同じ境地ですね。

禅では、最高の誉め言葉らしいです。
私のような凡夫に分かろうはずもありませんが、豪華な料理でなく、乾き物のナッツのピスタチオで晩酌出来る喜びに、変りはありませんよ。

割れた破れた殻に入ったナッツを、じっと見つめます。
殻の中には、ささやかな幸せが見えます。
ありがたいという気持ちが、そこにはあります。

花も紅葉もありませんが、裏の長屋の晩酌に、わびさびの境地があるように思えます。
こんな日常の暮らしの中に、「春を見せばや」と、ささやかな人生の楽しみ方かもしれません。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

最後まで、呑み過ぎてこの役立たずとお叱りを受けない話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。