''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

からし明太子を肴に、燗酒でほっこり晩酌タイム より。

陽が沈むと、ぐっと温度が下がります。
なんだか風邪ひきの予感です。
こんな時は、熱燗呑んでぐっすり眠るに限ります。

いつもの常夜鍋に、焼魚と日本酒モード全開です。
とは言え、生モノを食したくなるのは、燗酒のさがです。

酒は燗 肴は刺身 酌はタボ

昔の人は、上手いこと言いますよね。
新鮮な刺身が一番合うのは、当然です。
肉より、魚が口に合う年になったのかもしれません。

でも、まだまだ食欲も旺盛です。
痛風ですから、焼き肉をこのんで食しません。
突然食べたくなることもあります。

そこは上手に騙し騙ししながら、日々の暮らしを過ごしています。
嘘も方便ですからね。
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昨晩の晩酌タイムの生モノは、珍しくからし明太子です。
もちろん、特売の切り子です。
切り子のまま、売られています。

痛風ですから、多くは食しません。
でも、からし明太子をちびりちびり肴にして、燗酒を頂くのは、これはこれで至福です。
安い至福があるものです。

でも、あるんです。
贅沢な暮しはしていないつもりです。
その分、いつもの違う非日常が、ささやかにあれば、それで幸せを感じられます。
ありがたいことです。

切り子の明太子は、いろいろと使えます。
もちろん、明太子パスタにしてもいいです。
きゅうりと和えて、明太子きゅうりにしても、これまた美味いです。

少し変わりタネは、常夜鍋のポン酢に入れます。
感じとして、もみぢおろしをイメージして頂くと、これまた分かり易いです。
これもこれで美味いです。

タラコの持ち味と、唐辛子の相性もいいです。
ただ、赤いのは、着色しています。
着色と言っても、調味液に明太子を漬けるみたいですね。
肌色の着色していない明太子なら、どうも辛みをイメージ出来ません。

生のタラコなら、それを生食で頂くのも美味いです。
また、少しレアーに焼くのも美味いです。
それじゃ、『深夜食堂』の踊り子のマリリンちゃん見たいです。

あのアコースティクなギターの音色に、きゅんとします。
あんな居酒屋さんもいいですね。
メニューは、トン汁定食のみです。
後は、材料があれば作ると言う時価的な商いです。

時価と言う言葉は、苦手です。
鮨屋時価は、頼んではいけないと教えられてきました。

小説家であり、美食家であった池波正太郎氏によると、入ったことがない鮨屋でも、テーブル席があるなら、「1人前」と頼めば、それほど取られる事はないと言われていましたね。
にぎり寿司や盛り合わせなら、たかが知れているとい言う事でしょう。

でも、そんな事が通用しない時代になって来たと思います。
やはり、寿司は回るモノと、諦めれば手頃なご馳走になります。
トロやウニは、単価も高いが、利益も薄い。

商売として、利益のいいのは、その店で調理したモノです。
酢でしめたり、煮たりしたものが、本当の味を分かって貰えます。
そんなモノを鮨屋で味わえたらいいでしょうね。

煮アナゴやコハダでしょう。
コハダと言えば、昔のテレビ番組でやっていた『パペポ』で、鶴瓶さんと上岡さんの会話を思い出します。
笑福亭一門の飲み会で、バカ騒ぎして、裸おどりの真っ最中に、仁鶴さんが、履いていた足袋をポンと投げて、「何が釣れます?」「コハダが釣れます」と答えられて、「これが芸だ」と言われたといいます。

確かに、話芸ですからね。
裸踊りが、芸ではありません。
格調高い仁鶴さんの苦言を呈した言葉に、「道」を感じます。
そうそう、足袋の事を、コハダと言います。


落語ももともとこうしたダジャレのような小話から、私の好きな人情話が生まれてくるわけです。
芸に深みを感じます。
滑稽な噺もいいですが、短くても何やらありがたいくらいじゃないと、いけません。

そうそう先日聞いた落語の『お血脈(おけちみゃく)』も、ありがたいですが、ちょっとわらえますね。
噺の舞台は、信濃国善光寺です。

この善光寺に「お血脈」と言う名のハンコがあったそうです。
これは所謂一種の免罪符です。
浄財百疋(一疋は、二十五文)を支払って、自分の額にスタンプを押してもらうと、どんな罪を犯していても極悪人でも、極楽往生ができるというありがたい代物です。

迷惑するのは、地獄です。
地獄が空になると、それはそれで困るらしく、閻魔大王様の命により、そのこの善光寺に「お血脈」と言う名のハンコを、盗んで来るように指示を受けたのは、ご存知・天下の大泥棒・石川五右衛門です。

やっとの事、「お血脈」を見つけて、喜んで両手で崇めためる時に、間違って自分の額に、「お血脈」を押してしまって、五右衛門も、極楽に行ってしまったと言う全く滑稽な噺です。

とは言え、善も悪も、こんな程度のモノかと、分かってしまえば、極悪人が増えますよ。
現実には、こんな免罪符はありません。
今で言うなら、3万円ほどで買った免罪符に、こんな効力はありませんよ。
それなら、この壺買うと、あなたの運気がよくなりますと言うのと、さも似たりです。

警察に捕まって、そんな壺だれが売りに行けと行ったのかと聞かれれば、「阿弥陀が行けといいました」、そんな落語にも関係のある噺です。
やっぽり、新聞は読もうと、感じます。

今ネットのニースで大まかなことは、分かります。
ただ、三面記事的な事は、やはり新聞の活字で読まないと、分からないことも多いです。

落語を見ながら頂く晩酌タイムも素敵です。
一人手酌の酒は、古来より慰労の酒です。
そんな酒でもありがたいです。
今日も1日ご苦労さん、そう独り言が・・・・・。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

最後まで、テーマが切れ切れになった話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。