''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

鰤アラ大根にて、一献参る より。

朝から寝所に、朝日が入ります。
いつにもなく早い目覚めです。

 

昨晩は、些細なことに憤ってしまいました。
わけもない事ですが、そうしたものかもしれません。
中年男の更年期かもしれませんね。

 

イライラが募っているのかもしれません。
寒さが募るのは、都はるみさんの昭和の名曲『北の宿から』(作詞:阿久悠 作曲:小林亜星)てすよね。
如何にもと言う阿久悠の世界です。
歌詞の中の情景が、ビジュアルとして浮かびます。

 

名曲と言うのは、やはり作詞のビジュアル化にあるように思えます。
そして、この歌詞に、最適な曲が重なり合います。
これが、名曲の条件でしょうね。

 

名曲は、曲先行より、歌詞先行が多いように思えます。
あまちゃん」の太巻さんみたいに、ダンス先行はありませんよ。
じぇじぇじぇと、驚きます。
今年の流行語にも、きっとノミネートされますよね。

 

北の宿と言うと、日本海のイメージです。
この時期、富山辺りのキトキトの新鮮な鰤が美味いです。
魚編に、師走の師と書いて、ブリですからね。

 

昨日の帰り、スーパーによると、鰤のアラが大量に特売です。
これをゲットしました。
意外に、鰤のアラは高いです。

 

こうなると、一緒に買うのは、大根です。
晩酌の肴は、鰤アラ大根に決定です。
この日は、食事せずに帰宅しましたから、家で夕食付きの晩酌タイムでした。
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1時間ほどで、この色合いです。
1日経過したら、もっと大根が飴色になります。
いえいえ、勉さんの愛する琥珀色かもしれません。(じぇじぇ)

 

鰤より大根が美味いです。
主役は大根です。
鰤は、あくまで出汁です。
その出汁も、大好きです。

 

大根も好き、鰤も好きで、好きと好きとで、大好きです。
しかし、鰤アラ大根は大変です。
下処理が下手なら、魚臭くて食べられません。

 

まずは、お湯の中に、アラを入れます。(しっかり湯がきます)
鰤の汚れや、臭みをあります。
水洗いして、汚れや鱗を丁寧に取り除きます。

 

大根も下茹でして、半透明になるくらいまでにしておきます。
味付けは、酒、砂糖、みりん、醤油の単純な組み合わせです。
もちろん、臭み取りの細切りしょうがを、たっぷり入れます。
これは、大事です。

 

後は、煮込みます。
料理屋さんみたいに、飴焚きのように、濃厚にしません。
意外と、出汁もたっぷりの状態です。
もちろん、旨みの出汁は鰤からも出ますが、やはり、昆布出汁は入れています。
味の相乗効果です。

 

鰤もアラまで、食いつくします。
写真は、意外といい所です。

 

この他は、骨の所です。
骨の付いた鰤の身が、美味いです。
大胆に、骨にしゃぶりつきます。

 

これには、やはり燗酒でしょうね。
お供仕りますと、横に控えています。
「大儀である」
「大儀とは否ことを。主家を持たない拙者にあって、大儀とは、これまた無用の長物でござる」

 

左様、鰤の手下にも、酒の手下にも、なりません。
共に、上下の区別はありません。
アラだからと言って、大根だからと言って、卑下する必要はありません。

 

世の中は、上下の世界が、あちらこちらに見えます。
世の中とは、そうしたものですからね。
まさしく、禅の言葉、禅語にも「竹有上下節」と言うのがあります。
「松無古今色」に続く言葉です。

 

「竹に上下の節あり」と読みます。
仏の世界では、みな平等ですが、世の中は、こうした矛盾の不平等な世界です。
これも、当然の事です。

 

ちょうど、竹に上下の節があるのと同じです。
でも、上の節は、下の節に向かって、俺の方が偉いとは言いません。
まるで、眼の上に、眉毛があるのと似ています。

 

上下があるのは、至極当然です。
不公平と言いながら、富のある者が幸せで、貧家の私が不幸かと言えば、そんなことはありません。

 

鰤アラだから味わえる旨みがあります。
鰤の切り身だけだと、見場はいいですが、骨に付いた身の旨みを知りません。
1匹の旨みを味わうこととは、全く次元の違う問題です。

 

大根も、いつもは脇役ですが、この日ばかりは、主役です。
うーん、主役の大根に感謝です。

 

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

 

最後まで、上下左右、節穴だらけの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。