''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

燗酒と寒ブリのオツな取りあわせ より。

寒さが厳しいです。
底冷えがする京都にあって、朝晩の冷え込みは厳しくなりつつあります。
これからが、本番のシーズンです。
師走も深まりゆきます。

 

忙しさにかまけて、最近朝に自分の仕事をするようになりました。
今朝も5時には起床して、作業にしばし没頭です。
しかし、慣れない事はすぐに疲れます。
ここで頑張らないと、1月に困る事になります。

 

とは言え、家に帰宅して、部屋の整理をしています。
年末の掃除と言うより、いろいろと予定が入っています。
この計画を遂行するための作業です。

 

すぐに時計を見ると、9時近くになっています。
そして、いつものブログタイムが、待っています。
何気にない日常を書き記しているだけです。
でも、ブログを書かない気持ちの整理が付きません。

 

ブログの後、入浴をして、いつもの晩酌タイムになります。
夕食を食べて帰って来ますから、軽いものしか食しません。
本当のおつまり程度です。

 

しかし、夕食を家で食べる時は、食事と一緒の晩酌タイムですから、おかずを多く用意しています。
そんな時、食したくなるのが、魚です。
昨日みたいに、焼き魚でもいいし、手軽な刺身でもいいです。
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魚編に師走の「師」と書く魚だけに、寒ブリは美味いです。
また、値段も手頃になっています。
今の時期食べないと、正月は高くなります。

 

でも、寒ブリは、熱燗の日本酒にもよく合います。
至福の時間と言えます。

 

ブリと言えば、所謂出世魚ですね。
大きさによって、名前が出世して行きます。
ゲンがいい魚として、正月には欠かせません。

 

今月12月は、毎年郷里播州の雄、赤穂浪士を特集しています。
あの元禄の時代にあって、出世と言う言葉が、一番よく似合うのは、ただ1人、柳沢吉保ですね。

 

もともと、館林藩の勘定頭・柳沢安忠(やすただ)石高160石の家の子供(保明)です。
それが18歳で藩主・綱吉公の小姓として仕えます。
運よく綱吉公が5年後に将軍職を受けられます。

 

5代将軍綱吉公は、大老酒井忠清らに握られていた実権を、将軍に移行させるために、新しい職を作ります。
それが、側用人(そばようにん)です。
初代の側用人は、館林藩の家老・牧野成貞(なりさだ)を1万石の大名にして、この任に当らせます。

 

老中と将軍の仲立ちをするのがお役目です。
仲立ちと言うのが曲者です。
都合の良いように湾曲して相手に伝えることも出来ます。

 

老中の伝令を、自分の都合の良いように、将軍に伝える事が出来ます。
こうなると、老中と対等以上の権力を握ります。

 

この側用人(そばようにん)に、元禄元年(16887)、柳沢吉保(当時は、保明31歳)が就任します。
1万石の加増を受けて、お大名です。
ここからが、まだまだ序の口です。

 

元禄7年(1694)には、川越城主として7万2千石、その上老中格の扱いです。
元禄14年(1701)には、松平の姓の名乗りを許され、一門大名に列します。
これを機に、綱吉の吉の一字の片諱(いみな)を頂き、吉保と名乗ります。

 

出世は、まだまだ続きます。
宝永元年(1704)には、甲府15万石の甲府城主となります。

 

ちょっと待ったとて感じです。
160石が、150000石ですから、937.5倍と言うから、大よそ1000倍です。
太平の世にあって、これほどの出世は、例がありません。
出世もここまでくれば、凄いです。

 

でも、現代はもっと高確率のゲーム次第です。
IT企業で、フリーターが、上場企業の社長になることもあります。
ホリエモンみたいな人は、幾人もいますからね。

 

1000倍をはるかに超えた1万倍、1億倍かもしれません
それだけ、現代にビジネスチャンスもある事も事実です。
頑張らないといけません。
肝に銘じます。
その為にも、朝早くからあくせく作業しています。

 

現実は、なかなかつらい事ばかりです。
夜は12時過ぎには、寝るようにしています。
晩酌タイムで、気持ちも切り替えます。

 

1日のオンとオフの作業です。
今週は、いろいろな事があり、休肝日を取っていません。
そんなこともあります。

 

日々の暮らしの中に、自分の分にあった「ささやかな幸せ」があります。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

 

最後まで、出世に無用な酔っ払いの平(ヘイ)の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。