''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ダイエー藤森店のその後 より。

今年を振り返る時期にやって来ました。
特別番組では、この一年を振り返るコーナーがよくあります。
順位形式にしてみたり、街角で街頭インタービューをしたりと、この一年を振り返ります。
今の住まいする地域のもっとの代表する事件と言えば、今年2013年5月6日18時をもって37年の歴史に幕を閉じたダイエー藤森店です。

 

地域の出来事としては大きかったです。
大手のスーパーダイエーがなくなるとは、思っていなかったです。
無くなって困ると感じたことも多かったです。

 

電球が切れたと言っては、ダイエーにも行けましたし、プリンターのインクが切れたと言っては、ダイエーに行けば何とかなりました。
そんな突発的なことに、対応しにくくなっています。
それが、今年の大きな地域の出来事でした。
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第二軍道の京阪電車の野田橋辺りです。
向うのローズマンションが見えています。
そう、ダイエー藤森店は解体されて、更地です。
うわさでは、マンションが建つと聞きます。

 

京阪電車藤森駅から直ぐですし、立地もいいです。
聖母女学院もありますから、子供さんが女の子なら保育園や幼稚園から小中高まで、そして聖母女学院へと、エスカレーター式に、お受験も関係なく伸び伸びと学生時代を過ごす事が出来ます。
そんな暮らしもいいでしょうね。

 

郵便局(ATM土日営業)も近いです。
ツタヤも近いです。
住みやす環境だと思います。

 

でも、更地になった姿を見ると、しんみりします。
思い入れがありますからね。
まさに、「夏草や兵どもが夢の跡」芭蕉の俳句が、口から出ます。
「こんなん出ました!」
そんな占い師も居ましたね。

 

今月12月と言えば、私のブログでは、赤穂浪士の特集です。
吉良家に討ち入った赤穂47人は、まさに兵どもでした。

 

ものの本に因ると、吉良家の被害は、16人の死者、20人余りの負傷者で、これに比べて赤穂義士の被害は、原、近松、横川、神埼の4人の負傷だです。
これは完勝です。
勝ちどきの声を上げたことでしょうね。

 

やはり、赤穂は完全武装しています。
それに比べて、吉良は襲撃に対応できなかったという事です。

 

太平の元禄時代にあって、刀を抜いた事のある武士は、皆無です。
抜けば、本人切腹の上、お家断絶という運びです。
喧嘩両成敗ですから、売られたケンカは勝っても負けても、死が待っています。

 

そんなリスクを冒す必要はありません。
それが、武士の世界です。
偉そうなことを言っていても、いざと言う事になると、腹が決まらないという事です。

 

そんな中にあっての赤穂浪士の快挙に、江戸中が湧きます。
武士も町人も然りです。
気持ちのすかっとすることに、飢えていましたからね。

 

生類憐みの令で、うんざりしていました。
経済も好調の、まさしく元禄バブルです。
一部の商人が、巨万の富を得ていた時代です。
何をやっても面白くないそんな時代にあっても、気持ちがすっきりした事でしょう。

 

時代の背景が、今とは全く違います。
政治も無茶苦茶、武士道もなまくら、経済も無茶苦茶ですが、平和な時代だったと言う事です。

 

筋を通すと言うことが如何に難しいのか、本当に感じます。
今でも同じ事です。
どうしても、長い物には巻かれろの風潮があります。

 

そんな時代ですから、半沢直樹」の倍返しは、時代の潮流に乗って、視聴率も良かったと言う事です。
気持ちのすっきりする番組が、高視聴率を上げているように感じます。

 

今夜も、家呑みの晩酌ですっきりしたいです。
うさうさが貯まっています。
ストレスも多いです。
すでに食事をして来ましたから、軽いつまみで呑む事にします。

 

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたいことに、仏縁を得たと、感謝しております。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

 

最後まで、ぼーっとした夢見心地の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。