''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

利休名物 「桂籠花入」 を思い出して より。

朝から寒いです。
風が冷たいと言うのです。
猫のように、コタツで丸くなっていたいです。
そんな訳にも行きません。

 

朝から先日の自分の不始末を付けに、参りました。
先様のお怒りも少なくほっとした所ですが、自分の愚かさに穴があったら、入りたい気持ちになりました。

 

まだ、不始末も完結していません。
それまで、責任と罪悪感は続きます。
大人げないことをしてしまったものだと、自己嫌悪に包まれています。

 

済んでしまったことを、くよくよしても仕方ありません。
前に進むだけです。
反省して、今後のことに生かして行くしかありません。

 

やはり、気分転換にブログを書くことにしました。
私のブログの今月のサブテーマは、「赤穂浪士」です。
郷里播州の勇者の物語です。

 

とは言え、今日の話は、茶の湯です。
茶の湯と言えば、茶聖の利休を忘れるとは出来ません。
私のブログでは、いろんな角度から、利休居士を取り上げて来ました。
茶の湯と言う世界に精神世界を持つ込まれた所が、一番興味がひかれます。

 

あれは1999年の事です。
香雪美術館の「五大茶匠展」の新聞記事に目が止まりました。
もちろん、見に行きました。
イメージ 1

その時に、目に入ったのが、利休名物 桂籠花入です。
それにあの有名な園城寺の花入も、展示されていました。
割れた水が漏れる珍しい花入れだと言う事も、存じていました。
それも、秀吉公が気入らず割られた由来も存じています。

 

それ以上に、気になったのが、この利休名物 桂籠花入です。
実際に桂川川漁師が使っていたものを、利休が手に入れて、花入れように鐶(かん)を付けたと聞きます。
過去のブログの記事で紹介しています。
それを、今日家を片付けていた時に、チケットの半券を発見しました。
今でもよく覚えています。

 

吉良邸に討ち入った時に、ちょうどこの桂籠花入が、吉良邸の茶会に使われたようで、置いてあった。
主君の恨みをはらし、吉良上野介の首の上げた一番鑓に、デコとして取り付けた経緯があります。
要するに、首を上杉家に襲撃されない為のカモフラージュです。

 

その為、この花入れの底には、鑓が当たった跡があると聞きます。
また、私も展示の時、それを確認しました。
本物の上野介の首は、舟にて運ばれた由です。
何とも言えず、数奇な運命をもつ花入れです。

 

写真のように花を生けられることは、珍しいでしょうね。
1種か2種が、いい感じに生けられています。
品がいいですね。

 

3畳ほどの小座敷の茶室には、収まりがいいと思えます。
こうなると、やはり主客の交わりが出来る空間になると感じます。
浮世の事を持ちこんでは、いけません。
茶を喫する、それだけです。

 

花入に鐶(かん)するなら、酒器に燗したいです。
ほどほどが肝要です。
肝に命じます。
痛恨の出来事を、忘れることないように、戒めます。

 

日々の暮らしの中に、失敗事が多いです。
それでも、観音様の御加護がありました。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

 

最後まで、失敗でちょっ歪んだ話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。