''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

市販のバケツを加工して見ました より。

朝も早よから、今さっきの帰宅です。
クタクタモードです。
いろいろとトラブルは、起こるものです。

一つ一つ峠のように越えて行かないといけません。
人生の歩みと同じです。
回避することは出来ません。

♪この坂を越えたなら 幸せが待っている~

そんな昭和の都はるみさんの演歌を思い出します。
七転び八起きです。
負けたらあかんよって、自分を戒めます。
何も考えたらいかんです。

禅語の「莫妄想」(まくもうそう)です。
考えたらあかんよってね。
作為しないことが必要です。
作為とは、ああしよう、こうしようとする事です。
でも、作為しないとは、不作為と言う事ですね。

禅の言う作為しないと言うのは、何もしないと言うのとは違います。
いつものように、淡々とやるだけです。
目の前にあることをやるだけです。
そこに、ああしよう、こうしようはありません。

一々、この坂を越えたなら、この坂を登ったらなんて、考えても仕方ないです。
目の前にあるから歩むだけです。
それだけです。
何にも変わりはありません。

人が生きるのは、一々、呼吸をしないと生きていけないとか、ご飯を食べないと生きていけないとか、考えないです。
腹が減ったら、ごはんを食べる。
眠くなったら、眠ればいい。

何事も自然体で過ごせることが一番です。
それは、あえて考えないからです。
それも必要です。

神仏も同じです。
何か、願いを叶えてもらう為の信心は、意味がないです。
要するに、見返りを求めないことが必要です。
ブラックボックスではありません。
等価交換ではありません。

心の平穏の為に、神仏に手を合わせます。
今あることに、感謝して暮せる暮らしは、豊かです。
イライラから解放される暮らしは、幸せです。

そんなことを考えても、どこからとなく、トラブルはやって来ます。
仕事場で、トラブルです。
ゴミの処理です。
なんじゃそりゃって、感じです。

不浄な場所は、どこにでもあります。
仕事場も同じです。
最近出来たばかりの新築テナントです。

そんな場所にも、日常があれば、ご不浄場は存在します。
仕事に使う不浄場なれば、これも解決が必要です。
そこで一案です。
イメージ 1

バケツに穴を開けました。
そこにノズルを付けて、延長ホースを通して、ご不浄なものを排除です。
これは、名案です。
早速、コーナンでも売っていないので、DIYです。
イメージ 2

出来あがりは、売っているかのような出来あがりです。
自画自賛です。
ただ、仕事場に持っていくと、アイデアはいいのですが、何か一工夫がたりません。
それが今の課題です。

こんなものを作れば、上手く行くと過大評価してしまいました。(笑)
凹んでいます。
でも、失敗は成功の素です。
まだまた工夫の余地はあります。

バケツの底に、穴があってもいいじゃないですからね。
それじゃ、岡本太郎のグラスの底に顔があってもいいじゃないかのテレビCMのフレーズを思い出します。
同時に、ピートたけしさんの岡本太郎先生のモノマネが、思い出されます。
1970年の万博の太陽の塔を思い出します。

岡本太郎さんの顔シリーズですよ。
そのフレーズの中、グラスの底に顔があってもいいと言うのが、趣旨です。
それを思えば、バケツに穴や足があってもいいでしょう。
問題はありません。

心静かに暮らしたいです。
御平らに、御平らに。

日々の暮らしに、ささやかな幸せがあります。
ありがたいと感謝して暮させてもらっています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、KYのDIYの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。