''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ひろさちやの「禅」入門 を手にしてみた より。

朝から強い日差しであったのも、つかの間の話で、今は雨も降るかと思わす曇天です。
すでに、朝から2回も洗濯機を回しました。
ベランダに洗濯物を横目にしながら、ブログの記事を書いています。

5月は、ほとんど休みもない暮らしでしたが、何とか人の補充も出来たので、休みも取るようにしています。
でも、不安材料が多いのも、現実です。
休みに携帯電話が鳴らないことを念じます。

すべて自分がしなければと言うのも、勝手な考えです。
人に任せにするくらいの、ずぶとい神経も必要です。
でも、不安が募りますよ。
ですから、休みでも精神的に仕事から脱出できません。

仕事場から離れて、自分のオフィスの仕事もこなさないといけないの現実です。
もっと自由に生きるすべはないかと、考えます。
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私のよく読む著者に、ひろさちや氏が居ます。
私が、かんとうしょうえと、平仮名でブログネームを付けているのも、この方のイメージが一因しています。

この方の『「禅」入門』の表紙に「もっと自由に生きるため」と記されています。
自由に生きるとは、どう言う意味でしょう。
株やら商売で、巨万の富を得て、自由奔放に暮らすと言うのではありません。
私が求めるのは、精神的な自由です。

それが、仏法の世界、特に禅の世界に見られます。
莫妄想(もくもうぞう)を最初に記されています。
余計なことは考えるなと訳されています。

余計なことに固執しないことは、自由な生き方の本質です。
瞬時に、気持を切り替えるのは、自由な生き方の術です。
済んだことをウジウジ考えない気にしないことは、その最たるものかもしれません。
要は、前に進むしかないんです。

このひろさちや氏の面白い所は、宗教という枠の中に、仏法も神道、あらゆる宗教が存在します。
宗教学者さんですからね。
仏教だけをやっている坊主さんとは違います。
時に、イスラムのムハマド(マホメッド)の逸話が示されていることがあります。

この本の中にも、「山を動かすという奇跡」の話が記されています。
若い頃、宗教学の授業をとっていたことがあります。
この年は、1年間イスラムの話ばかりでした。

イスラムと言えば、勝手な過激なシーア派のイメージです。
でも、学問上の上からでしたが、宗教的な意味から言えば、合理的でいい宗教だと実感しています。
イスラムと言えど、いろんな信者がおられます。
世界で一番信者の多い宗教ですからね。
そこには、宗教と言う物の本質があるのかもしれません。

私は、縁あって仏法世界と繋がっています。
過去世の縁からでしょうね。
仏法の世界でも、禅と言えば、少し風変わりな方が多いです。
悟りを得た方ですから、言動に重みを感じるかもしれませんが、知らない方が多くの逸話を聞くと、ちょっと痛い方が多いと言うイメージです。

それは、この自由に生きるという意味合いが、そこに感じ取られます。
出家して、禅をやらないと自由な生きられない訳ではありません。
その本質が、エッセンスのようです。

この本の表紙の中に、「どんな生き方をしてもいい 立派に生きる必要はなし」と記されています。
何やら、1970年代の丸大ハムのCMの「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」みたいな名セリフに感じます。

私は、恥ずかしながら、立派な人間ではありません。
横井さんの敬礼が、勝手に浮かぶ世代です。
ブラジルに行かれたのは、小野田さんですよね。
よく混同される方が居られます。

「よっこい庄一」と昭和の死語を、今でも使いたくなる私です。
それほどに、りっぱな生き方でなく、恥ずかしながらと言いたくなりそうです。
そんなことすら、お構いなしに自由奔放に暮らしたいです。

モノに固執しない、見返りをもとめない、これが本質にあれば、意外と自由かもしれません。
今を楽しむことが一番かもしれません。
きつい仕事をしている時でも、そうした境遇を楽しむことですね。
そっちの気はありませんから、辛いことを楽しむ趣味はありません。

何やら「日日是好日」の禅語が浮かびましたね。
雨の日も晴れの日も、すべて好日です。
もちろん、天気の事ではありません。
人生訓にも生かします。

嫌なこともあります。
辛いこともあります。
楽しい事もあります。
それらが、すべて人生です。

何も人生も達観したわけではありません。
楽しい事より辛いことが多いのが、これまた人生です。
生きる方を得るために、働かないといけません。
どうせ働くなら、気持の中で楽しめたら、もっとハッピーです。

ハッピーと言えば、京都の五条近くのハッピー六原を思い出しました。
六波羅蜜寺近くにありますよ。
六道の辻近くと言うべきでしょうかね。
地元の人しか分からない場所にあると思います。

物も良くて安いし、いいスーパーです。
私にしては、ほっとする場所だのかもしれません。
近くの巨大なモールのイオンよりは、買い物がしやすかったですね。

便利と満足は、一致しません。
洒落たものより、自分らしくありたいと思いますね。
大阪のスーパー言うなら、スーパー玉出と言うのではありません。
でも、1円商品には興味がありません。

欲しいモノならいいですが、無理してまで買う物ではありません。
そこは、固執がないんですね。
あるがままに生きられるのが、自由な暮らしかもしれません。

気ままに読書もいいかもしれません。
昼から、篆刻したいと思います。
ささやかながら幸せです。
ありがたいです。

日々の暮らしに、ささやかな幸せがあります。
ありがたいと感謝して暮させてもらっています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、何が言いたいのか分からない前後深くの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。