''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

内蔵助の母方親族 池田 長信 (池田 長幸の三男) 

元和8年(1622年)、備中国松山藩主・池田長幸の三男として誕生。

寛永17年(1640年)、小姓組番士となる。後、書院番に移る。寛永19年(1642年)、備中後月郡のうち井原村・片塚村・宇戸川村・梶江村の4か村において1000石を与えられ、旗本となり、井原陣屋を構えた。慶安元年(1648年)、書院番の組頭となった。

明暦2年(1656年)、35歳で死去。跡を長男・友政が継いだ。

刃傷を起こしたとの記載があるが、家が断絶せずに残っているところを見ると、人物の相違が考えられる。

 

ウィキペディアWikipedia)』参照