2014-07-25 内蔵助の母方親族 池田 長信 (池田 長幸の三男) 人物紹介 索引補助 赤穂浪士 総索引https://kantoshoue.hatenablog.com/entry/35343705 赤穂藩 筆頭家老 大石内蔵助良雄 血縁関係 の「け」 池田 長信(いけだ ながのぶ) 江戸時代前期の旗本。通称は左兵衛、修理。 死没 明暦2年8月24日(1656年10月11日) 元和8年(1622年)、備中国松山藩主・池田長幸の三男として誕生。 寛永17年(1640年)、小姓組番士となる。後、書院番に移る。寛永19年(1642年)、備中後月郡のうち井原村・片塚村・宇戸川村・梶江村の4か村において1000石を与えられ、旗本となり、井原に陣屋を構えた。慶安元年(1648年)、書院番の組頭となった。 明暦2年(1656年)、35歳で死去。跡を長男・友政が継いだ。 刃傷を起こしたとの記載があるが、家が断絶せずに残っているところを見ると、人物の相違が考えられる。 『ウィキペディア(Wikipedia)』参照 父:池田長幸(1587-1632) 母:不詳 室:朝比奈氏 長男:池田友政(1650-1704) 三男:分部信政(1653-1715) - 分部嘉高の養子 室:安藤氏 次男:池田利重(1650-1695)