''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

内蔵助の父方親族 鳥居 元忠 高祖父  三男 鳥居 成次 娘の子 井上 正任

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赤穂藩 筆頭家老 大石内蔵助良雄 血縁関係 の「け」 

内蔵助の母 池田由成の六女 熊  

 

井上 正任(いのうえ まさとう)

常陸笠間藩第2代藩主、のち美濃郡上藩初代藩主。浜松藩井上家3代。

 

寛永7年(1630年)、笠間藩初代藩主(当時遠江横須賀藩主)井上正利の長男として生まれる。寛文9年(1669年)6月、父の隠居により家督を継いで笠間藩となる。

このとき、弟の井上正信に新田2000石、井上正興に1000石を分与している

9月に奏者番に任じられたが、延宝2年(1674年)6月に奏者番の任務において失態があったため、延宝3年(1675年)4月まで蟄居を命じられている。

 

貞享2年(1685年)から翌年まで、越後騒動御家騒動)により改易された越後高田藩高田城の在番を、信濃飯田藩主・堀親貞と共に務めた。在番中に堀が死去したため、溝口重雄と交替している。

元禄5年(1692年)11月12日に美濃郡上郡・越前大野郡に移封された(美濃郡上藩)。このとき、財政上の理由から家臣団をリストラしている。元禄6年(1693年)9月2日、家督を次男の正岑に譲って隠居した。元禄13年(1701年)12月16日に死去した。享年71。

ウィキペディアWikipedia)』参照

 

父:井上正利母:鳥居成次の娘 (内蔵助の血筋)

 

兄弟 正任、正信、正興

 

正幸

正岑

正長


娘(金森頼業正室)、

酒井重英(五男)、
正照(六男)、

七男、娘(松平信輝正室)、
娘(丹羽氏音正室)、

娘、