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池田 長政(いけだ ながまさ)
天正3年(1575年)、池田恒興の四男として尾張国犬山に誕生。
幼少時に片桐俊元の養子となり、慶長2年(1597年)に俊元が死去すると、家督と三河国新庄7000石の所領を継いだ。
『池田家履歴略記』によれば、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで兄・輝政と共に東軍に与して織田秀信の籠る岐阜城攻めで軍功を挙げ、戦後に1万5000石の加増を受けて播磨国赤穂城主に任命されたが、一説には東西どちらが勝っても池田氏が存続できるように、兄の命令で西軍に与していたともいわれる。
その後、さらに1万石の加増を受け、最終的に備前国下津井3万2000石の領主となる。
慶長12年(1607年)7月20日、伊勢国庄野庄にて死去した。享年33。
家督は子の長明が継いだ。長政の家系は輝政の孫・池田光政から始まる岡山藩の家老(片桐池田家)として明治時代まで存続した。
子
長明、
片桐采女室、
山崎家治室