''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

内蔵助の母方親族 池田 長政 (恒興四男 高祖父 元助の弟)

総索引https://kantoshoue.hatenablog.com/entry/35343705

赤穂藩 筆頭家老 大石内蔵助良雄 血縁関係 の「け」 

 

池田 長政(いけだ ながまさ)

戦国時代から江戸時代初期にかけての武将片桐池田家初代。

死没 慶長12年7月20日1607年9月11日

 

天正3年(1575年)、池田恒興の四男として尾張国犬山に誕生。

幼少時に片桐俊元の養子となり、慶長2年(1597年)に俊元が死去すると、家督三河国新庄7000石の所領を継いだ。

『池田家履歴略記』によれば、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで兄・輝政と共に東軍に与して織田秀信の籠る岐阜城攻めで軍功を挙げ、戦後に1万5000石の加増を受けて播磨国赤穂城主に任命されたが、一説には東西どちらが勝っても池田氏が存続できるように、兄の命令で西軍に与していたともいわれる。

その後、さらに1万石の加増を受け、最終的に備前国下津井3万2000石の領主となる。

江戸城普請や駿府城普請でも功績を挙げた。

慶長12年(1607年)7月20日伊勢国庄野庄にて死去した。享年33。

 

家督は子の長明が継いだ。長政の家系は輝政の孫・池田光政から始まる岡山藩の家老(片桐池田家)として明治時代まで存続した。

 

 

父:池田恒興、母:善応院荒尾善次娘)

 

正室加藤嘉明

 

長明

片桐采女室、

山崎家治