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真田 幸政(さなだ ゆきまさ) (内蔵助の血筋)
真田昌幸の甥で娘婿。真田信之・真田信繁とは従兄弟であり、義兄弟でもある。
幸政の母は、馬場信春の娘である。鳥居忠勝の母は、馬場信春の娘。
つまり、内蔵助の祖母の血筋。
父と共に徳川家に仕え、慶長5年(1600年)に書院番、寛永8年(1631年)に使番に任命される。
寛永9年(1632年)に父・信尹が死去し、遺跡を継いで3,000石を知行する。この際、弟・信勝に1,000石を分与する。
同年、幼少であるため岡山藩から鳥取藩に移された池田光仲の元に赴き、国目付を務めた。(重要な情報)
承応元年(1652年)に鉄砲頭となる。承応2年(1653年)に死去した。
正室は伯父の昌幸の娘で、昌幸の娘の中でも末の方に当たるとされている。正室は明暦2年4月28日(1656年5月22日)に死去した。
没死 承応2年1月5日(1653年2月2日)
「Wikipedia参照」
父:真田信尹、
母:馬場信春の娘 (内蔵助の血筋)
子
幸信
幸吉
娘(田中定格室)