''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

あべのハルカス 地下1階の天井の巨大時計 より。

まだ8月と言うのに、先日来空気が秋の空気に変わりました。
一度、初秋の空気が流れると、9月の気温が気になります。
9月の残暑は、どうなるでしょうね。

 

都会の中に居ると、そうした気温の変化も分かりにくいです。
仕事の途中で通る場所に、あべのハルカスがあります。
天王寺と言えば、地下鉄から近鉄電車の乗り換えのターミナルです。
JR、近鉄、地下鉄と交通の要所です。

 

通勤時間も、朝の6時台にも関らず、物凄い数の乗降客です。
朝の通勤は、一目三に次の乗り換えに、気持が集中しています。
のんきな私は、天井を見上げました。
あべのハルカスの地下1階は、近鉄百貨店、大阪マリオット都ホテル、美術館などの共通の出入口になっています。
もちろん、地下通路です。
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その天井辺りの写真です。
巨大な時計です。
大きすぎて、時間もよく分かりません。
センスがいいのか、悪いのか、私にもわかりません。

 

時に知るのは、容易な事ではありません。
時を知るのは、人だけではありません。

 

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

 

これは、細川ガラシャの辞世の句です。
私の好きな辞世の一つです。

 

花には、花の散り際があります。
人には、人の終焉があります。
この年になると、いろいろと思う事があります。

 

最近、自分の最後をどうするのは、考える方が多いと言います。
自分で、自分の整理を付けることが、流行っているようです。
先日のテレビで見たお墓の始末の付け方が、印象的でした。
後を継ぐ者が居なくて、年老いて来たので、親の墓を管理できないと言うので、墓を処分されていました。

 

こうした墓石の処分が増えていると聞きます。
そうして、ニュースになるのが、大量の墓石の投棄です。
良い業者ばかりではありません。
処分に費用がかかるので、費用のかからない投棄です。

 

罰あたりと言うしかありません。
本来の仏教では、墓の存在を否定していると、子供の頃聞きました。(如是我聞)
否定していると言うより、墓を作ることを想定していないと聞きます。

 

そら、お釈迦様の墓はありません。
お釈迦様のお弟子の墓もありません。

 

その意味では、キリスト教の方が、そうした巡礼の聖地が多いです。
昔読んだ本の中に、不思議な一節がありました。
平安時代初期に書かれ伝承されて来た最古の説話集『日本霊異記』だったと思います。
仏教世界の不思議が詰まっています。

 

私の記憶が確かなら、その中に、お釈迦さまが、卒塔婆に手を合わせるシーンがあります。
ネットで調べると、卒塔婆とは、ストゥーパの音訳であり、ストゥーパとは仏舎利を納めた墓のことであり、それの形を模した板であると、記されています。

 

五輪塔に似せた形に作られ、意味として、上から空、風、火、水、地の五輪を表しているようです。
それぞれ、上から宝珠形、逆半円形、三角形、円形、長方形をしています。
いろいろな意味があり、色であったり、臓器であったり、意味が多岐にわたります。
梵字、経文、戒名などを書かかれることが多いです。

 

表には、梵字なら、「キャ カ ラ バ ア」と書かれ、裏には「バン」と記されています。
最近、お寺さん用の卒塔婆専用のプリンターが売られているようです。(手で書けよってね。うーん、微妙!!)

 

この卒塔婆は、お釈迦様の前世の父親の王が公案されたと書かれていた記憶があります。
ですから、お釈迦さまが、卒塔婆に手を合わせるシーンに繋がります。

 

お釈迦様の前世の記憶です。
妻と大臣の策略によって、王であるお釈迦さまが暗殺されたと言う話です。
それを悼み、その父親である前の王が、墓の代わりに作ったのが、卒塔婆だと言うのです。

 

あくまで、私のうる覚えの記憶です。
ネットで調べても、そんな話は乗っていません。
記憶違いであったのか、定かではありません。

 

因みにその時の大臣が、提婆達多であったと言うのが、お決まりのオチです。
私達世代には、レインボーマンでお馴染みです。
♪インドの山奥で 修業して 提婆達多(ダイバダッタ)の 魂宿し~
(川内康範 作詞 北原じゅん 作曲 安永憲自、ヤング・フレッシュ 唄)

 

また、妙法華経提婆達多品第十二では、提婆達多天王如来となるという未来仏の授記が与えられます。
法華経の中、一番二番の見せ場かもしれません。
お釈迦様の従兄弟でもあり、多聞第一で有名な阿難の兄であるとも聞きます。
仏教的には、悪人(ヒール)の位置づけです。

 

すべての者に仏性がありますからね。
私もその時を知りたいです。
でも、凡夫の私には、そんなお知らせアラームは来ません。
来るのは、痛風発作の予兆のアラーム位です。
まだまだ修行が足りません。

 

天知る地知る己知るです。
私的には、チルチルメチルかもです。
まだまだ日の高いうちから、晩酌タイムは早いです。

 

でも、己をじっくりと知るのは、難しいです。
今ある事に感謝する。
それが大切です。

 

日々の暮らしに、ささやかな幸せがあります。
ありがたいと感謝して暮させてもらっています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、あーなんだそーなんだと言う要のない話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。