''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

刀剣春秋 第748号神無月10月号 表紙 刀 無銘 名物島津正宗 より。

大型の台風が関西に近づきつつあります。
そんな時、明日の早朝に仕事が入りました。
どうなる事やらです。

 

とは言え、仕事に穴を開けるわけには行きません。
暴風の中、スクーターで通勤もこれまた困難が予想されます。
これに代わるよい案がありません。
困りますよね。

 

しかし、世の中は、時に棚からぼた餅もありまよ。
先日、ニュースで取り上げられた行方不明の名刀 島津正宗が150年の歳月を経て、世に出ることになったと言うのです。
これは奇蹟でしょうね。
徳川将軍家、加賀前田家、そして、近衛家伝来の過去を持っているようです。
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何故、島津正宗と言うのか、まだまだ不明のようです。
ただ、8代将軍吉宗公の時代に製作された、『享保名物帳』なる名刀の所有に関する控えがあります。

 

どこ家にどんな名刀が存在するのかを、幕府に届けるそんな控えです。
300諸侯の大小名と言えども、名刀には数があります。
その中でも、相州五郎入道正宗と言えば、別格の扱いです。
所持した人物に因んだ銘が付く事が多いです。

 

その所在を記すものの正宗は、現存するもの41口、焼失したもの18口、都合59口の正宗の存在が記されているようです。
残念ながら、原本は残っていなようです。

 

その存在が定かでなかった正宗の中に、今回世に出た島津正宗があったと言う事ですね。
奇蹟でしょう。
コレクターの手に渡れば、世に出ないのが普通ですからね。

 

天皇家に近い近衛家から、昭和44年大阪の奥田米佛門(べふもん)氏が譲り受けて、高齢になったことにより、この天下の名刀を京都国立博物館に寄贈と言う運びになったと記されています。

 

それじゃ、その筋の方なら、どこにあったのか、ご存じだったと言う事でしょう。
とは言え、世に出たのは素晴らしい事です。
それを刀剣春秋の748号で表紙に掲載されて、私でも写真で見ることが出来ます。
もちろん、時間を見つけて、京都に行こうと思いますね。

 

過去に見た正宗で、印象に残っているのは、やはり、国宝の城和泉正宗でしょうね。
後に、津軽正宗と呼ばれる正宗です。
城和泉とは、元武田の家臣にして、後に徳川家康に仕え、7千石の旗本・城昌茂(じょうまさもち)の事だと聞きます。
何やら大坂の役で軍令違反となった悲運の武将と聞きます。
しかし、所持した銘の入った正宗にその名前が、歴史の中に残っています。

 

島津正宗の名前の由来は、今後の研究になるとして、分かっているのは、文久2(1862)年の和宮様降嫁の際、徳川将軍家がこの「島津正宗」に、拵え料として金千両を添え天皇家に献上したと伝わるだけです。

 

ですから、見つかったこの正宗の拵えはありません。
刀身だけですね。

 

国宝の城和泉正宗より、反りも少ないですしね。
ただ、刃文は地鉄(じがね)や変化に富む国宝の城和泉正宗と似ていますよね。
うーん、吸い込まれます。

 

これが見られるのも、何かの縁です。
昨日そんな縁がはっきりと見えましたね。
人生には、時々の節があります。
そうした節を、間近に感じた一日でした。

 

いずれ何かの折に触れて、ご報告も出来るかもしれません。
まだまだ先の事になるでしょうが、日時が決まれば、自ずと気持ちも出来あがるような気がします。

 

膝の痛みが増しています。
それも、左でなく、右の膝にも痛みです。
軟骨の飛び出しでしょうね。
こりゃ、如何です。

 

外出先でも、椅子に座る事も多いです。
なるべく膝の負担は少なくしたいです。

 

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、椅子に座ったままの私に、立つんだジョーと相方の声がする話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。