2014-11-10 白隠慧鶴禅師(はくいんえかく)の「は」 人物紹介 禅語にすすめ #絵画 #宗教 索引補助 総索引https://kantoshoue.hatenablog.com/entry/35343705 白隠慧鶴(はくいん えかく、1686年1月19日(貞享2年12月25日) - 1769年1月18日(明和5年12月11日))は、臨済宗中興の祖。諡(おくりな)は 神機独妙禅師、正宗国師。 駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)にあった長沢家の三男として生まれる。 15歳で出家して諸国を行脚して修行を重ね、24歳の時に鐘の音を聞いて見性体験するも増長して、信濃(長野県)飯山の正受老人(道鏡慧端)にあなぐら禅坊主と厳しく指弾され、その指導を受けて修行を続け、老婆に箒で叩き回されて次の階梯の悟りを得る。 のちに禅修行のやり過ぎで禅病となるも、白幽子という仙人より「内観の秘法」を授かって回復した。 更に修行を進め、42歳の時に蟋蟀(こおろぎ)の声を聴いて仏法の悟りを得た。 地元原宿に帰って布教を続け、曹洞宗・黄檗宗と比較して衰退していた臨済宗を復興させ、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで謳われた。 『ウィキペディア(Wikipedia)』参照 コロナ戦 家で籠城中 4歳児ゆうゆうと家の近くの公園に散歩しました より。 愛娘の保育園の帰りに見つけた桃の花 より。 五月のカレンダー「一撃忘所知」の禅語 より。 大本山相国寺の承天閣美術館へ、いらっしゃい より。 朝から体調が悪いです。病であっても好日です より。 水上勉の『一日暮し』を読む より。 茅の輪をくぐって見たら、見えるものもありますよ。