''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

洋菓子 オーミヤ(Omiya) の頂き物 より。

朝からどんよりとしています。
今日も朝から膝の痛みに閉口しています。
とは言え、最悪の状態の峠は、越えていると思います。
未だ、すっきりとした朝を迎えられていません。

そんな中、昨日の仕事場で、Mさんから頂き物がありました。
お返しのようです。
お返しと言っても、今日はホワイトディーですから、男性から女性のお返しはありそうですが、女性からのお返しはありませんよ。

仕事上でお返しです。
見ているだけで、何やにら、美味しそうな香りがしそうです。
大阪の旭区にある洋菓子 オーミヤ(Omiya)さんでの詰め合わせです。
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ラッピングも上手でセンスがいいですよね。
春らしい感じがして素敵です。
詰め合わせの中で頂いたのは、クッキーとマドレーヌです。
どちらも、美味しかったです。

私の中では、マドレーヌがお気に入りです。
定番的な洋菓子ですが、なかなか難しいモノの一つです。
定番だけに、丁寧な作業を感じます。
うーん、いい仕事されています。

私のよく食べるようなマドレーヌより、出来あがりは幾分硬めです。
その分、生地の食べごたえを感じる上に、レモン風味がよく効いています。
レモンの皮も入っているようで、後味も長く余韻を残します。

昼ごはんの後のお茶うけに頂きました。
何やら午後の紅茶もいいですし、コーヒーも捨てがたいです。

少しだけ、優雅な時間を過ごせたと感謝しています。
ありがとさんです。

時間と言えば、昨日小学生の時の先生から手紙を貰いました。
その同封の中に、お守りが入っていました。
お寺さんの先生でしたから、貴山でご祈祷して下さったお守りです。
妻の分も入っていました。

朝にお礼の電話を、先生の携帯電話にして、お礼を述べた所でした。
小学3年生の時の担任の先生でした。
その前年、産休の代用教諭として赴任されて、そのまま母校の先生になられたと記憶しています。

正式な最初の担任の生徒が、私達だったと思います。
あれから、40年余りが過ぎています。
すでに、定年をされていますが、この年になって連絡できるとは、ありがたい事です。
もちろん、小学3年の時から、毎年年賀状の送付は続けています。
ありがたい事だと、感謝の念が絶えません。

私の人生の節目節目にいろいろと励まして下さいます。
とは言え、残念なことに、私が16歳の時に会って以来、お会いする機会を得ていません。
33年の年月ですが、電話の会話にはそんな時間の流れはありませんね。
私が小学生の時のまま、「先生」と話しかけるだけです。

不思議なご縁です。
不思議な縁で繋がっています。
もちろん、私にとっては大切な仏縁です。

33年の33と言えば、仏法の世界では、観音様にご縁がありますよね。
33のお姿になられる33の別身の姿が存在します。
京都の東山の三十三軒堂も、観音信仰の霊場ですよね。

いろんな立場になって、その姿になって、普く人々を救って下さいます。
観音様と言えば、二つの名前で有名です。
一つは、観自在菩薩、もう一つは、観世音菩薩です。
似ているようで、少し違います。

玄奘三蔵訳の『般若心経』の「観自在菩薩」によると、サンスクリッド語による梵名の「アヴァローキテーシュヴァラ」(Avalokitaśvara)とは、ava(遍く)+lokita(見る、見た)+īśvara(自在者)という語から、観自在菩薩と訳されている事になります。
もう一つ、鳩摩羅什の訳『妙法蓮華経』では、観世音菩薩と訳されています。
こちらでは、「Avalokita-svara」となっており、これに沿えばavalokita(観)+ svara(音)
それは、「アヴァローキタ・スヴァラ」(Avalokita-svara)なら、スヴァラは「音」と言う意味らしいですから、ava(遍く)+lokita(見る、見た)+svara(音)という語から、「観世音菩薩」様と言うになります。(『観音経 奇蹟の経典』ひろさちや著 大蔵出版 参照)

学問上ことは、さておき、「観音様」声を出して一心に唱えれば、まるで懐かしい子供の特撮番組『マグマ大使』のように、救いに来て難から逃れることが出来ます。
ありがたい菩薩様に他なりません。

音は見ると言うのは、凄いです。
救いの声を聞いて助けて下さいます。
よく見ることが難しいです。
観音様は、娑婆世界に遊ぶと妙法華経の経典にも、記されています。
遊ぶと言いながら、働かれています。

娑婆(しゃば)は、サンスクリット語 梵語sahāの音訳で、堪忍と言う意味があると聞きます。
同じ意味で、「忍土」「俗世」とも書かれますよね。
要するに、この娑婆世界は、堪忍しないといけない忍耐することが多い所と言う意味のようですね。
極楽世界とは、かけ離れています。

あちの世界の方の言われる娑婆は、まるで極楽みたいに言われますからね。
塀に囲まれた方なら、塀の向こうよりこっちが、極楽に感じます。
するが堪忍、されど堪忍です。
間寛平さんのように、「堪忍堪忍堪忍なぁ」って連呼すると、堪忍するように苦痛も稀薄しそうです。
それも、この娑婆世界の上手な過ごし方かもしれません。

今日も一日穏やかな過ごせそうです。
ありがとさんです。
明日は早番ですから、二時半過ぎに起きないといけませんね。
堪忍して欲しいです。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、オーミヤならぬ「よー見や」の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。