''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

休日のランチは、塩焼きそばにしてみるか より。

今日もいい天気になりました。
日曜と言うのに、仕事でした。
仕事があるだけありがたいと思えれば、これまた幸せです。
クタクタになって、帰って来て、癒しの慰労の酒も、また美味しです。

昨日の昼ごはんは、近くのコーナンで、台所の目隠しのカーテンレールを設置したからの、遅い時間でした。
いつものように冷蔵庫を開けると、そこに見つけたのは、蒸の中華そばです。
ラーメンもよかったが、選択したのは、焼きそばです。
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ソース焼きそばも、醤油味の焼きそばも、カレー味の焼きそばも、思い浮かびましたが、作ったのは、塩焼きそばです。
仕上げに、風味程度に、薄口醤油を少しだけ垂らします。
基本の味は、塩とコショウです。

シンプルな中に、複雑な味を想像させます。
中華スープも入れました。
具材も、玉ねぎ、獅子唐、アラビキソーセージ、そして、プチトマトです。
アラビキソーセージと、プチトマト、それらを繋げ合わせる塩の相性もいいですからね。

塩なら、素材の持ち味を殺しません。
ソース味なら、すべてがソースの強い個性で、相殺されます。

もちろん、天にはかつお節を、フリフリです。
いつものように、フリフリと言っても、リージョンやマクロジョンは、少し前の話です。
ちっよと懐かしいですね。

ソーセージと言えば、今の大河ドラマの『花燃ゆ』の毛利公、通称・そうせい(そーせー)侯を思い浮かべます。
毛利敬親公を、北大路欣也氏が、演じて居られます。
長州も、政治の指導者がころころ変わります。
殿としては、せうせいと言わざる得なかった経緯がそこにありますか。

この大河ドラマは、時代考証が、少しおかしいです。
ドラマにしても、20石余りの下士・久坂の妻・文(ふみ)が、毛利敬親公と二人で会うはずもありません。
身分の違いがあり過ぎます。
こんなことはありません。
方や、外様とは言え、防長二ヶ国の太守です。

考えることすら、想像できない組合せです。
あちらこちらに、時代の中でも、無理のある設定が多いです。
これでは、ドラマとは言え、時代考証がないに等しいですね。

三条実美公が、祇園に出入りしていたなんて考えられませんね。
それほどに、江戸時代は、公家が虐げられた時代です。
摂家より下位の清華家の三条家と言えども、石高は472石と、家としの面体を維持するので精一杯だと思われます。

これらの公家に接するのは、やはり賂の授与が、キーワードになります。
ここも、時代考証の中で、見せるべきでしょう。
公家にしてみれば、アメリカもイギリスもフランスも、藩の一つとして位の知識しかないはずです。

政治から離れた公家ほど厄介な物はありません。
政治をする能力が皆無です。
それも、徳川幕府の礎の為にとられた政策でしたからね。

そんな中、突然黒船の来航により、一躍朝廷や帝の存在が、クローズアップされた時代です。
尊王攘夷と言っても、無意味なことは始めから分かっていたはずです。
長州一藩と外国が戦争しても、勝ち目はありません。

しかし、その行動力は凄いです。
高杉晋作が、まるで変人のように描かれていますが、そんなことはありません。
久坂玄瑞も、まるで変人のような描写です。
生きていれば、間違いなく、明治政府の要人です。
無意味な戦で、おしい人物を長州も日本も無くした物ものです。

強いて言えば、この大河ドラマ『花燃ゆ』の中で、吉田松陰の印象は、今までの松陰の中で、物凄いいい出来ですね。
伊勢谷友祐介さんもいい役に巡り合えたと思います。
ただ、歴史の考証が、いけません。
あんな人物ではないように思えます。

歴史に興味の持たれた子供さんが、何か勘違いされると思います。
焼きそばと言えば、常にソース味のカップ麺しか知らないみたいですよ。

と言いながら、今日も見てしまいそうです。
ある意味習慣ですからね。
とりあえず、今あるのは、こんな歴史の偉人の甲斐です。
ありがたいです。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、色どりだけ華やかな塩焼きそばの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。