''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家の食卓ものがたり 竹輪と牛蒡のきんぴら より。

朝から暑いですね。
この時期からの、天王寺区都島区、いえいえ、常套句(城東区)になります。(笑)
挨拶代わりに、「暑いですね」となりますからね。
暑い暑いと言えば、余計に暑さを感じます。

大型の台風11号が、日本列島に向かって来ています。
週末辺りが、暴風圏になりそうです。
少しでも暑さが遠のければ、念ずるよりも、被害のないことかと心配します。

もうすぐ、第二の故郷京都では、祇園祭です。
祇園囃子が、四条当たりでも聞こえます。
少し懐かしい気もします。

大阪に来たからには、縁を下さった天神様の祭りを意識します。
人も多いので、テレビで見ることになりそうです。

暑いと言っても、食欲を落とす事は出来ません。
食が細れば、体も細ります。
塩分も取らないと、水分も維持出来ません。

そんな時、少し味の濃くした常備菜があれば、なおいいはずです。
先日作った我が家の食卓のおかずです。
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竹輪と新牛蒡と人参とインゲン豆の入ったきんぴらです。
私の中で、きんぴらの定義は、ごぼうでも、人参でもなくも、油(特にゴマ油)で炒める調理法にあると位置付けています。

池波正太郎氏の料理の中にも、たしか「独活のきんぴら」があったように記憶しています。
独活(うど)と言うと、独活の大木と言うように、何か消極的な印象に感じます。
同じように、もやしも、もやしっ子とって感じの、消極的な印象を感じます。
されど、もやしもごぼうも独活も、内に秘めたるものがあります。

もやしなら、スープにすれば、和え物にすれば、持ち味を出し切れます。
ラーメンに盛られたもやしも、私は大好きです。
時に、中華料理でも、もやし炒めと言う主役の料理もあります。
炒め過ぎず、シャキシャキ感が命です。

牛蒡も同じです。
あのシャキシャキ感が残るきんぴら牛蒡は、美味いです。
この時期、一味唐辛子や、輪切り唐辛子を入れて、味にアクセントを付けると、食欲も増します。

そんな新牛蒡と人参と、旬のインゲン豆が冷蔵庫にあるなら、これはきんぴらでしょう。
同じくきんぴらにもよく合う竹輪をゲットです。
細めに切った竹輪は、練り物の王様ですから、ここから魚介の出汁が出ます。

もちろん、ゴマ油で食材を炒めた後、麺つゆと砂糖と味醂と酒で、少し煮詰めます。
炒めるだけでは、後で食べる時に、しっとりしません。
少し汁気の残った中に、水溶き片栗を打ちます。
こうすれば、しっとりしたきんぴらの出来あがりです。

嫁は、仕事場に弁当を毎日持って行っています。
こんな時、昨日の作り置きしていたきんぴらがあれば、弁当箱の一角を埋めることが出来ると、喜びます。
今日は、ごぼう天と海老の入った野菜の炊き合せと、ソテーしたロースハムに、プチトマトなどの彩り野菜などが、詰っていると思います。

意外と器用に上手に、弁当箱に詰めています。
毎日の事なので、ブログの記事をアップする時に、写真を付ければいいと思うのですが、そこまではやる気が無いようです。
少しもったいないです。

旦那のブログで、十分疲れていると思います。
毎日、ごはん時になると、ちょっと待ってと、食べる前に、写真撮影です。(ラッスンゴリライ 少し古いですよね)
こんな奇妙な食卓にも、我慢しても文句を言いません。
いつもありがたいと感謝していますよ。

ちょっと庄司みたいに、「ミキティー」と叫びたくなります。
「ミ○ティー」ってね。
ある意味、名前も少し似ています。

毎日、このブログを見ていますので、こけていると思いますけどね。
暑い最中、体に無理をさせないように、食欲だけは維持させたいです。
我が家の食卓ものがたり、まだまだ続きます。
ありがとさんです。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、牛蒡と違い、解毒作用のない悪実(あくじつ)な話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。