''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

モーニング・ミニオムレツの朝ごはん より。

先日のオフ日、朝に嫁が弁当に詰めた残りケチッャプライスが、テーブルの上にあるのを発見しました。
もちろん、残りは食べてもいい言う確認は、とっています。
やはり、食べ物の恨みは怖いです。

ケチッャプライスだけじゃ、物足りないと、朝から玉子を溶いて、オムライスにした次第です。
モーニング・オムライスもありです。
その代りミニサイズです。
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これなら丁度、私の朝ごはんにピッタリのボリュームです。
もちろん、これに温かいコーヒーと、バナナと定番ヨーグルトです。
この日のヨーグルトには、ハチミツとシナモンをかけて頂きました。

朝から少し重いと思いながらも、オムライスには、大人ながらテンションが上がりますね。
私達世代と言えば、ナポリタンやオムライスなど、ケチャップベースの甘めの物か人気の時代でした。
今のようにトマトソースを使った本格的なものより、ノスタルジックな味わいがあります。

麺もアルデンテでなく、うどんのようなソフト麺のようなチープ味わいでした。
それが大人になっても、好みを外れません。
子供の頃に食べたオムライスは、未だに忘れられない味です。

そう今はもう無き大阪中央公会堂の地下にあった食堂で食べたオムライスは、格別でしたね。
これほど薄く玉子が焼けるものか、これほど薄くチキンライスが綺麗に巻けるものかと、感心する職人技でした。

それに比べて、かって、京都大丸横にあった資生堂パーラーのオムライスも、職人技のレストランのオムライスで、なかなかよかったです。
それに、京都でオムライスと言えば、河原町丸太町の東洋亭のオムライスも、職人技の極みで、皺一つない綺麗なオムレツをイメージさせる高度な技が光っていましたね。

ここまで来れば、芸術と言っても過言でないものです。
もちろん、味も品のいい味です。
でも、どこか子供の時に描いていたオムライスではなかったです。

その頃は、オムライスにはまっていましたから、遠くは、東京浅草のヨシカミも行きました。
あそこの味も、う~って唸らせます。

子供の頃食べたのは、レストランのオムライスでなく、町の洋食屋さんとか、喫茶店の味です。
懐かしい味が、今も舌の記憶に刺さっています。

バターを効かせた本格的なオムライスも、美味いです。
味に、上下の隔てはありませんよ。
チープな味でも、それは記憶と言うベールで包まれた味なら、大切な味の記憶になります。

今、食べ物の記事をブログに書き記していますが、子供の頃にブログがあれば、もっとユニークな表現が出来たと思えます。
小学生5年生の頃、未来の生活と題する絵画を描いたことがありますが、机の上には、大きなモニターの付いたコンピューターを配したデスクで、仕事をしている絵でしたね。

鉄腕アトムのようなアニメのイメージでしたからね。
それが、今や仕事の上では、ブラウン管モニターでなく、液晶モニターやノートパソコンが、主流です。
まして、家でも、そんな暮らしをしていますから、あの頃では、想像できなかった暮らしがあっても、食べたいものは、子供の頃と余り変わりません。

この先10年経っても、やはり好みは変わらないでしょうね。
それが、味の記憶と言うものでしょうよ。
それにしても、朝ごはんにオムライスは、ここ20年食べていなかったメニューのような記憶がします。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、朝からノスタルジックな味の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。