''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ラクビーの五郎丸ブームにあやかって より。

昨日は、花園ラクビー場で、近鉄ライナーズリコーブラックラムズのジャパンラクビートップリーグ2015-2016のリーグ5戦の記事を書きました。

 

今年は、ラグビー日本代表の活躍、特に五郎丸ポーズこと、ルーティーンと称する一連の動作が、一躍脚光を浴びましたね。
世界の中で、これほど活躍するスポーツがあったことに、驚くばかりでしたね。
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花園ラクビー場の前にも、五郎丸さんをはじめとするラグビー日本代表の巨大なポスターがありました。
その前に、3歳くらいの僕ちゃんが、五郎丸ポーズをとっていました。
凄いと、言える光景です。
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もちろん、ラグビー日本代表のユニホームなども展示されていて、ラクビーの風が、吹いているようだと肌で感じました。
これが、一時のブームでなく、日本に強く根付いたスポーツになれば、いいと強く感じた次第です。

 

その為には、誰もが知る名選手が、やはり必要不可と欠言えます。
今年は、五郎丸ブームでしたから、次はどんなスターが活躍してくれるのか、楽しみでもあります。

 

でも、ルーティーンなんて言葉すら知らなかったです。
一連の動作に、一定の行程を意味入れることが、凄いです。
ドレミファソラシドでしたよね。
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ラクビーワールドカップ2015の練習用のボールも展示されていまたが、どう見ても掴みどころなのないボールですよね。
私も子供の頃、ラクビーボールで遊んだことがありますが、どこに行くのか、どう弾むのか全く予測不能な扱いの難しいボールですから、これを自在に扱うには、練習あるのみなんでしょうね。

 

それにしても、スポーツ全般に言える事ですが、メンタルトレーニングが必要であると思い知らされます。
練習で、上手く言っても、ここ一番の本番に強くないと、結果を出す事が出来ないと言う事です。

 

やはり、スポーツ全般で言われる「平常心」なんでしょうね。
でも、禅の世界の中にある禅語では、「平常心」(へいじょうしん)と呼ばずに(びょうじょうしん)と呼びます。
茶室に掛けられたお軸に見られる「平常心是道」の「平常心」(びょうじょうしん)ですね。

 

「へいじょうしん」と、「びょうじょしん」は、似ているようで違います。
「びょうじょうしん」とは、作為しないと言う事です。
作為しないとは、何もしないと言う事ではありません。
ああしよう、こうしようと、意図的に作為しないことです。

 

言葉の上で、理解できても、会得するのは難しいと思いますね。
同じく禅語にある「大道、長安に透る」も、この「平常心是道」をいい換えたモノであるとあります。
急に、終点の最終目的地の長安には、一気に参りません。
家の前の道を歩む如く、日々の中で会得体得するしか、手段はないと言う事なんでしょうね。

 

禅者にも、茶人にも、スポーツの達人にも、到達する所は、似ていると言う事かも知れません。
いろんなことを考えされられます。
ありがたいことです。

 

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、特異なポーズから歩むに繋がる話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。