''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家のスィーツものがたり さつま芋のきんつば(公家芋) より。

朝夕の寒さが、昼間では嘘のように暖かでしたね。
3月上旬を思わせる穏やかな気温でした。
何やら勘違いしそうです。
暖冬だとは言え、まだまだ、真冬ですからね。

 

もうすぐ、2月です。
1月も今日で終わりです。
今日は、恭傳菩薩様のご縁の日でしたったけね。
もう19年ほどの昔の事になります。

 

そう言えば、今日病院に行った嫁の報告によると、愛娘ゆうゆうが、ミルク用の鼻に通してある管を自分で勝手に抜いちゃったようです。
なかなか、お転婆な娘の剛毅な振る舞いに、一同唖然です。
末頼もしいです。

 

我が家でも、こうした娘を思い、いろいろと先を考えて、おやつ作りに四苦八苦です。
意外に、私は気にいっています。
家で、食べられるなら、上出来です。
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嫁作ってくれた我が家のスィーツ さつま芋のきんつばです。確か、京都の北大路近くの和菓子屋でも同じようなものを食べたことがあります。
その時の名前が、公家芋(くげいも)だったと記憶しています。

 

公家と言っても、イメージとは違って、ピン切りです。
公家は、広い意味では、昇殿が許された格式の家である堂上家(とうしょうけ)と、昇殿が許されていない地下家(じげけ)の2つに分けられますが、一般的に公家と言えば、この堂上家を指すことが多いと聞きます。

 

堂上家(とうしょうけ)が、上級貴族なら、地下家(じげけ)は、中級貴族とも呼ばれるようです。
その地下家(じげけ)は、江戸時代には約460余家あったと記されています。
京都の御所の中に、当時の公家の住まいの住宅地図のようなものがあります。
御所の大きな通りは、その当時の公家の屋敷跡です。

 

今でも、九条家のお屋敷は、建物が残されています。
池もあって、優雅ですが、ここがあの摂家のお屋敷となれば、江戸時代の公家諸法度に於ける公家の弾圧も凄まじいと、感じます。

 

これが、明治時代の様相を変えるものかと、如何ばかりにおぞましいものを感じますね。
それに、維新後、地下家の筆頭格であった押小路家・壬生家は、堂上家に準じて、また、伊丹家(重賢:青蓮院宮諸大夫)・尾崎家(三良:三条家諸大夫)・富井家(政章:聖護院宮坊官)は勲功により華族(男爵)に列せられたようです。
しかし、押小路・壬生の両家に次ぐ蔵人所出納の平田家以下、ほとんどの地下家は原則として士族として扱われたと記されています。(ウィキペディア参照―)

 

明治維新後、明治17年1884年)7月7日、華族令が制定され、これにより「公爵」、「侯爵」、「伯爵」、「子爵」、「男爵」の五階の爵位が制定されたことになります。
同じ家族様でも、上下があれば、やはり大変です。
華族の中でも、身分制度があるんです。

 

もちろん、公家でなかった者も、維新に貢献があったものは、格別に華族爵位が与えられたことになります。
薩摩や長州の下級士族が、いきなり華族様です。

 

華族の最上位「公爵」は、英語ならデューク(duke)ですね。
体をクネクネさせたウォーキングの考案者にも、そんな名前の方が居ましたよね。
笑っちゃいけません。

 

「公爵」の公式英訳にはdukeではなく、princeが当てられ、伊藤博文近衛文麿爵位英米ではprinceと訳されることとなり、皇族と間違われたと言う事もあったと聞きます。
華族制度と言うのは、不思議なシステムです。
ちょっと興味もありますね。

 

江戸無血開城で有名な幕臣勝海舟は、実は伯爵なんですよね。
その時の逸話があります。
もともと、伯爵より下位の子爵の与えられることになったのに際して、和歌で抗議してみたいです。

 

我もまた 人並みなりと思いしに 五尺に足らぬ四尺(子爵)なるかな

 

当時の1人前の男子の身長が、五尺であったから、それ一尺足りない子爵と言う扱いかよって、そんな和歌での抗議です。

 

これを聞いた明治政府高官が、子爵の上の伯爵の爵位を与えたと聞きます。
さすが、勝海舟だと言う気がします。
勝と言えば、幕末の武家官位である「安房守(あわのかみ)」を名乗った事でも有名です。
慶喜公も、「安房(あわ)」と呼ばれて、お傍近くに声がかけられるシーンがよくありますね。

 

今の流行りでは、安房守と言えば、言わずと知れた『真田丸』の真田 昌幸が、「安房守(あわのかみ)」(従五位下)の官位で呼ばれていますね。
ドラマの方では、草刈正雄さんの好演が人気を博していますよね。

 

真田 昌幸の妻(山之手殿)と言えば、最近まで公家・菊亭晴季の娘とされてきたようですが、どうも諸説あるようです。
今回も、高畑淳子さんが演じられている昌幸の正室・薫(かおる)と称して、山之手殿として扱われていないようです。

 

ここで、やっと、公家に戻れました。
やはり、九里より甘い十三里と言うところです。

 

食べ物から意外な話に流れてしまいました。
余り食べ過ぎて、カラクモが出ないうちに、お茶引きますよ。

 

我が家で、さつま芋のきんつば(公家芋)が頂けるとは、何ともありがたい事です。
ご馳走さまでした。

 

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、爵位に騙されない眉つばならぬ、甘いきんつばの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。