''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

1年の結婚記念日がやって来ました より。

朝からいい天気です。
今日は、私達夫婦の記念日です。
そう、去年の今日の日に、結婚式を挙げました。
昨日は、愛娘の帰宅と言う嬉しい出来事も重なって、ささやかな幸せを感じています。

もちろん、昨日に続いて、今日も連休のオフ日を取りました。
いつも忙しくしているので、これくらいは許容範囲です。
想定内と言う言葉が、頻繁に使われたモノ、今は昔の話に思えます。

1年と言う単位が、短く感じる年になったかと思うと、嫌になります。
昨晩の12時前の夜泣き攻撃に、予想はしていたものの、やはり、大変でした。
明日は、連休は取った分、早番です。
と言う事は、この状況の中、午前3時前に起床ができるかどうかが、一番の不安材料です。

「案ずるより産むが易し」と言います。
夫婦二人して、乗り越えない山があります。
山がそこにある以上、二人して登るのが、人としての道でしょう。
きっとその道も、長安に通じています。

人の道を外れて、ゲスな生き方には、それなりの報いがあるのが、天の定めです。
それ以上に、あるベッキーでしょうね。
天に唾はいて、どうなるのか、自ずと分かるはずです。

ここに来て、高感度上位から、高感度低位に急落です。
出会った時、既婚者とは知らなかったのは、気の毒と思いますが、既婚者と分かった段階で、どうすればよかったのか、分かったはずです。
そこが、人かゲスかの、分かれ道、つまり、岐路だった分けです。

こうなると、男も、嫁に戻らざるを得なくなりますよね。
でも、私が思うに、修復は不可能です。
ただ、嫁も、ベッキーと結婚する為に、卒論(離婚届)を出す事は、絶対に嫌でしょうね。
結局、破局するにしても、不倫相手に花を持たせるような、別れ方はしないと思います。

いずれ、莫大な離婚の慰謝料を取られて、夫婦も破綻するのは、人の道に違いありません。
夫婦の道は、やはり、人の道が基本です。
人の道を外して、夫婦の道はないと思います。

温故知新の中に、同じようなケースがあったはずです。
それなのに、何故学習しなかったのか、私には理解できません。
やはり、山の頂上に立つと、世間の人の営みが、下界の様子に感じられるのかもしれません。

痛恨の失敗を回復するには、天下一品の策を講じないといけません。
敵対する「文春」か、「週刊新潮」や「週刊現代」辺りに、全告白と称して、世間様に対して、反省をすべきでしょうね。
そうすれば、そこまではしなくても、ゲス男の方が悪かったと、世間の同情を得られますよ。

ここまでくれば、損得はありません。
早い次の一手で、ベッキーのタレントとしての商品価値が、変わるとでしょう。
そして、天真爛漫な明るいベッキーでなく、大人の経験豊富な女性としてのキャラの変更をすれば、生き残れると思います。

やはり、その前には大きな大きな山があります。
富士山クラスでなく、チョモランマ級の山があると思えば、気も楽になります。

人様の事でなく、自分の事にも戒めが必要です。
私のゲスな顔と容姿からして、不倫問題はないにしても、夫婦の絆を離反することはしないように、注意が必要です。

男と女、いろいろと考えが違います。
そこが難しいです。
いいと思っても、嫁にしては、納得がいかない事もありますからね。

とりあえずは、夫婦の中を取り持ってくれる「鎹(かすがい)」の愛娘ゆうゆうが居る以上、上手くやりたいです。
今の若い方に、「鎹(かすがい)」と言っても、ピンと来ないと思います。

柱と柱を繋ぐ道具ですね。
形は、ホッチキスの弾の形です。
ティープラなら、外人にも変わりますよね。

「鎹(かすがい)」と言えば、キーワードになる落語が『子別れ』でしたね。
本当は長い話ですが、一番いい部分が、時間の都合で語られることが多いです。
あの落語を聞いていれば、間違いを犯す事に躊躇したことでしょうね。
要するに、「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」ですよ。

少しうるうると来る夫婦、親子の話です。
急に聞きたくなりましたよ。
人情噺は、大好きです。
私の膝の上で、ゆうゆうが、ニコニコしています。
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昨晩は、娘の気は帰宅と結婚記念日の前夜祭・宵山を祝して、祝いの膳を用意です。
定番の赤飯です。
嫁がアサヒ軽金属の圧力鍋で作ってくれた赤飯です。
小豆は、播州の郷里より送って暮れたモノです。
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祝いの膳の魚と言えば、鯛です。
鯛の塩焼きは、私が調理担当したものです。
身もふんわりと、焼けています。
遠火の強火の妙です。

赤飯も鯛の塩焼きも、大変美味しゅうございました。
もちろん、娘ゆうゆうの茶碗には、赤飯の蔭膳があったことは、言うべきもありません。
ありがたいです。

ささやかな貧家の幸せが、ここにあります。
ありがたいことです。
神仏のご加護に感謝しています。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、金づちみたいに、世間様の事を叩く話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。