''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

愛娘ゆうゆうの初節句 雛祭りです より。

♪ 灯りを点けましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花~
何だか楽しげな歌の内容とは別個に、少し短調の暗いイメージもあります。

 

その分、心の灯に火を点すような、女の子の健やかな成長を祈る歌です。
この年に、いやはや50歳にして、人生初めて親になりました。

 

特別な思いがあります。
娘を持つ親の気持ちが、現実味を持ってくるとは、思いよりませんでした。
ささやかな今日は、娘ゆうゆうの初節句です。

 

もともと、今日の3月3日は、蓮の日です。
年に6回、正確には7回あると言う六祭日でもあります。(如是我聞)
悔い改めるそんな日になると、子供の頃に聞きました。

 

ささやかな祝いの膳を娘と嫁と三人で祝います。
嫁が手製の雛寿司を用意しました。
私用に、御酒も用意です。

 

とは言え、官女や右大臣は、同席していません。
もちろん、左大臣太政大臣も、臨席を賜っておりません。
五人囃子や笛太鼓の音曲はないんです。
ご同様に、ちゃっきり娘も、フラワーショーも、宮川左近ショーも、臨席しておりません。
イメージ 1

我が家にも、ささやかながら、嫁の雛人形を飾っています。
嫁の母方の実家から頂いたモノのようです。
いいお顔をされています。
ありがたいことです。

 

昔の古い雛人形を見ると、お内裏様とお雛様の位置が、逆になっています。
昔は、右側にお内裏様、左にお雛様です。
明治に入って、変わったようですね。

 

もともと、内裏では、帝から見て、左右の位置にあります。
紫宸殿の前にある2対の木々も、左近の桜に、右近の橘です。
位置関係では、左の方が上席です。
左大臣と右大臣なら、左大臣の方が位は、高いです。
その習わしから、江戸時代の古い雛人形は、お内裏様が私達から見て、右に置かれています。

 

しかし、明治に入って、少し変わっています。
結婚式も、神様から見て、左が新郎、右が新婦です。

 

江戸時代には、直接帝を見る事はありません。
御簾がかかっていますからね。
その帝に背を剥けられるのは、特別な地位の方だけです。
変わりに政をする代行者が、左大臣や右大臣と言う事なります。

 

その風習からすると、明治に入って、天皇を背にする方は居られません。
天皇の前には、位の上の方が、頭を下げて居られます。
つまり、左近の桜に、右近の橘は、必要ないんです。
その為、お内裏様も上席の左に置かれるように変わったのだと思います。

 

いろいろ諸説がありますが、京都風や関東風ではないように思われます。
今でも、古い江戸時代の雛人形は、古い形式を今でも取っています。

 

官位束帯と十二単衣の装いは、日本らしい古来の有職故実に則って、なかなかいいモノです。
お内裏様が、手に持つ笏(しゃく)は、「一位の木」と聞きます。
笏は、「こつ」と読みますが、ゲンが悪いので、「しゃく」と呼ばれるようですね。
おじゃ丸が、「これ、シャク」と呼んでいますよね。

 

おしゃくれ様、何も、彩姐の事を呼んだ訳ではありませんよ。
わるきーの笑顔に、釣られそうになりますよ。
筋肉は、もちろん、触らせませんよ。

 

官位束帯と十二単衣の装いで、肌が見えるのは、首と手だけです。
娘の健やかな成長を祈ります。
ありがとさんです。

 

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、桃の節句の杓子定規な話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。