''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

愛娘ゆうゆうの最初の愛読書『がたんごとん がたんごとん』 より。

今日も朝の4時前に家を出て、早番の仕事を終えて帰って来た所です。
家に帰ると、娘のゆうゆうが、声で迎えてくれます。

「おかえり」ではありません。
「あ・あ・あ・・・」
泣き声ではありません。
もちろん、チャトモンチーの『シャングリラ』の歌詞でもありません。

家の者が帰って来たと言うのは分かるようです。
顔を見ると、知っているおじさんが帰って来たと言わんばかりです。
そう言っても、嬉しそうな表情をしますので、父親らしき認識はあるようです。

今から数か月前の保健所の帰りに、何やら貰って帰って来たものがあります。
本です。
乳吞み児に本をプレゼントしてくれたみたいです。
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安西 水丸さくの『がたんごとん がたんごとん』です。
不思議な世界の中に、子供の何かがあるんでしょう。
私のような凡人には、理解できない世界です。

愛娘ゆうゆうの最初の愛読書と言う事になります。
私の最初に買ってもらった童話的な絵本は、『びんに入った悪魔』だったと記憶しています。
ネットで探しても、似たようなタイトルの絵本はありますが、同じ物に出会ったことがありません。

本は、いいと思います。
ゆうゆうは、乳吞み児ですが、膝に抱えて、一緒に絵本を見て読んでやると、じっと絵本を見ています。
子供の本質かもしれません。
嫁と一緒に、「がたんごとん がたんごとん」と合言葉のように言って、体をゆすってやると、何だか嬉しそうな表情をしてくれます。

ささやかな親子三人の生活が、ここにあります。
ささやかですが、幸せを感じますね。
そこには、金銭の多寡や物質的な感覚はありません。
ここに、親子で過ごせることの喜びです。

800g以下で、この世に生を受けて、私達夫婦の元を選んでやって来てくれた寳物です。
生きて一緒に暮らせることが、ある意味奇蹟だと言えます。
その綱渡りのようなか細い蜘蛛の糸のようなキレそうな上を歩んできたような気がします。

そして、今親子三人の暮らしに少しだけ慣れて来ました。
人様の元気な子供さんなら、数カ月で大きく成長するのに、生後6カ月しても、5000gはありません。
保健所でも、他の赤ちゃんに比べて、一回りも二回りも小さいです。

それでも、人並の親子の暮らしが成立していることは、やはり、奇蹟かもしれません。
ありがたい観音さんを初め、神仏のご加護に他なりません。
そっとありがたいと手を合わせます。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、理想のユートピア的な話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。