朝から暑いですね。
昨日は、今年一番暑さのようでしたね。
悲しいかな、私は風邪をひいて、家で寝ていました。
嫁が帰って来たので、ほっとして一気に体調が悪くなったと思われます。
乳吞み児と二人っきりの暮らしは、緊張の連続ですからね。
昨日は、今年一番暑さのようでしたね。
悲しいかな、私は風邪をひいて、家で寝ていました。
嫁が帰って来たので、ほっとして一気に体調が悪くなったと思われます。
乳吞み児と二人っきりの暮らしは、緊張の連続ですからね。
胡瓜のピリ辛漬けは、暑い最中にピッタリでした。
嫁の入院している最中の食事は、大変でした。
子供の食べる離乳食とミルクの用意をすると、自分の食べる用意は雑になります。

手軽と言えば、インスタントの袋麺です。
カップ麺と言うと、何やら食事と言うよりは、軽食に感じます。
家でいるなら、インスタントの袋麺がいいですね。
嫁の入院している最中の食事は、大変でした。
子供の食べる離乳食とミルクの用意をすると、自分の食べる用意は雑になります。

手軽と言えば、インスタントの袋麺です。
カップ麺と言うと、何やら食事と言うよりは、軽食に感じます。
家でいるなら、インスタントの袋麺がいいですね。
それでも、「ちょい足し」ブームでもありますから、少しアレンジしたことによって、何やら新しい味の発見があると面白いですね。
最近、関西でも塩らーめんを出す店が多くなりましたが、私達の子供の時代には、塩ラーメンを食べられる店がなかったです。
特に私のような田舎者には、中華屋さんで食べるラーメンがすべてでした。
しょうゆラーメン的なオーソドックスな中華屋のラーメンです。
特に私のような田舎者には、中華屋さんで食べるラーメンがすべてでした。
しょうゆラーメン的なオーソドックスな中華屋のラーメンです。
醤油醤油した味でなく、塩味なのか、醤油味なのか、分からない中華のスープ的な味わいでしたね。
そうチャーハンについて来るスープみたいな味わいでした。
そうチャーハンについて来るスープみたいな味わいでした。
今時のように、ラーメン専門店でないとラーメンでない風潮が強いですね。
でも、本来は、豚骨や煮干しのようなスープでなく、鳥ガラベースの味わいが美味いはずです。
でも、本来は、豚骨や煮干しのようなスープでなく、鳥ガラベースの味わいが美味いはずです。
それが、何か中華屋のラーメンが下に見られるような感覚に襲われますね。
しっかりした味のベースは、出汁にあります。
中華でも、出汁のしっかり取れていないスープは、美味くないです。
しっかりした味のベースは、出汁にあります。
中華でも、出汁のしっかり取れていないスープは、美味くないです。
それは、ラーメン専門店にも言えます。
ダブルスープだとか、言いながら、何か違う様に思える味も多いです。
ラーメン屋は、浮き沈みの多い商売だけに、一時のブームで終わる事も多いですね。
ブームの早いラーメンは、すぐに飽きられる味である事も多いと思います。
ダブルスープだとか、言いながら、何か違う様に思える味も多いです。
ラーメン屋は、浮き沈みの多い商売だけに、一時のブームで終わる事も多いですね。
ブームの早いラーメンは、すぐに飽きられる味である事も多いと思います。
その意味では、中華屋のラーメンは、浮き沈みもなく、長い間飽きられることのない味だと言えます。
ラーメン自体にそれほど特徴はありません。
麺とスープの取り合わせです。
ラーメン自体にそれほど特徴はありません。
麺とスープの取り合わせです。
最近は、そのバランスよりも、スープの味が、ラーメンの位置づけされることが多いと思います。
麺ありきでなく、スープありきですね。
濃い味や脂っこいラーメンが多いのも、分かることです。
麺ありきでなく、スープありきですね。
濃い味や脂っこいラーメンが多いのも、分かることです。
洪自誠の菜根譚の中にも、これを題材とするものがあります。
醲肥辛甘(じょうひひんかん)は真味にあらず。
真味は只だこれ淡なり。
神奇卓異は至人(しじん)にあらず。
至人はただ是れ常なり。
真味は只だこれ淡なり。
神奇卓異は至人(しじん)にあらず。
至人はただ是れ常なり。
濃い味や脂っこったり、辛すぎるもの、甘すぎるものは、本物の美味しさではない。
本物の味とは、淡白なものである。
本物の味とは、淡白なものである。
この後、味でなく、人の話に続きます。
同様に、人並みなずれた少し変わった方が注目されますが、これらの人が本当に卓越した人ではなく、本当に道を修めるような凄い人と言うのは、ある意味平凡な人間であると言う私の偏見的に解釈です。
同様に、人並みなずれた少し変わった方が注目されますが、これらの人が本当に卓越した人ではなく、本当に道を修めるような凄い人と言うのは、ある意味平凡な人間であると言う私の偏見的に解釈です。
禅で言うなら、禅語の「無事是貴人」かもしれませんね。
ここに言う無事とは、無事に着いたと言う無事ではありません。
ある意味「作為してない」と言う意味ですね。
あるがまま、自分のやるべきことを、当たり前のようなやるだけですね。
禅の上の、平常心(びょうじょうしん)にも、通じますね。
ここに言う無事とは、無事に着いたと言う無事ではありません。
ある意味「作為してない」と言う意味ですね。
あるがまま、自分のやるべきことを、当たり前のようなやるだけですね。
禅の上の、平常心(びょうじょうしん)にも、通じますね。
「作為してない」のと、「何もしない」のとは、違います。
「作為してない」でして、物事を進めることは、至難ですからね。
そこには、「あーしよう、こうしよう」と言う邪心も迷いもありません。
「作為してない」でして、物事を進めることは、至難ですからね。
そこには、「あーしよう、こうしよう」と言う邪心も迷いもありません。
再度、ラーメンに例えるなら、毎日食べても飽きないそう言う普段使いの味だと思えます。
そこに真味淡なりなんでしょうね。
淡とは、あっさりした味です。
忙しい私には、短の味かもしれません。(笑)
そこに真味淡なりなんでしょうね。
淡とは、あっさりした味です。
忙しい私には、短の味かもしれません。(笑)
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
最後まで、らーめんと違って、塩味の薄い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。