''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

王将の生餃子を家で、羽付餃子に焼いてみました より。

朝から暑いですね。
お盆と言うのに、リオオリンピックの観戦に、日本中が湧いているようです。
柔道の全階級のメダルラッシュは、さすがお家芸と言えます。
柔道の父・嘉納 治五郎(かのうじごろう)氏も、喜んでおられることでしょう。

 

こうなると、東京オリンピックも盛り上がりを感じますね。
しかし、どうも試合の感じが、イメージと違います。
はっきり分かる「1本」と言う形でなく、これも1本?って感じの試合であったり、何かし柔道と言う道と違うモノに感じることがあるのは、日本人としてなら当然の事でしょう。

 

少しだけ、ブルーの道着にも慣れて来たくらいです。
うーん、漢字の柔道から、ローマ字の柔道になったままです。

 

その内、相撲もオリンピック競技になると面白いですね。
ヨーロッパでも、人気のスポーツだと聞きます。
身体能力の高い黒人系には、大変優位になるかもしれません。

 

柔道も、相撲も道ですから、勝負だけではダメですね。
心技体の揃った精神の道でなければ、なりません。
そう思うと、世界の柔道は、道ではないように感じます。

 

忌まわしい元柔道金メダリストの内柴正人の卑劣な犯罪を鑑みれば、精神的な道は求められていないようです。
えん罪との声もあるようですが、合意ならいいのか、そう言う問題ではありません。
指導者としても、無能の烙印が押されたことになります。

 

今回のメダリストも、こうした高慢な態度がないと念じるばかりです。
日本の恥じですからね。
日本人で有る以上、「恥」の文化を深く考えて貰いたいです。

 

文化と言うモノを考える上で、日本人は、上手く取り入れる才能がある民族だと思い知られさる所があります。
東京オリンピックの追加種目となる「空手」もそうですね。
諸説あるようですが、起源は沖縄の固有の拳法「手(ティー)」だと聞きます。

 

これに中国やら日本やらの要素が加味されていった中で、今の方になって来たようですね。
もともと関節技「取手(トゥイティー)」、や投げ技「掛手(カキティー)」もあったように聞きます。

 

よくこの時期、総理や閣僚や国会議員の靖国神社参拝問題が、ニュースの紙面を賑やかせます。
その時、インタビューで、日本の単一民族を口にして、パッシングされる無能な政治家が後を絶ちません。

 

そう日本には、沖縄やアイヌなど、いろいろ民族がいるから単一民族ではないんです。
そうした中で、上手にいろんな民族のいい部分が、加味されて独自の文化に熟成されて来たのが、日本の文化の一つです。

 

私の好きな料理の分野でも同じです。
今や日本食と言えるラーメンと言えば、もともと中華料理の流れですが、中国に、今のラーメンに相当する麺は見当たりません。
カレーライスも同じです。
インドに、日本スタイルのカレーライスは存在しません。

 

日本は、自分の文化に組み入れるのが、上手な民族です。
そこには、創意工夫と言う、本家にない本家以上のものを加味することになって、日本人好みにしていく進化の過程が、凄いです。

 

昨日嫁が実家からの帰りに近くの王将に立ち寄って、「生餃子」を買って来てくれました。
焼き担当は、私です。
フライパンに、少量の油を入れて、円形に餃子を並べて、水を餃子の肩まで入れて、焼きあげました。
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嫁愛用のアサヒ軽金属のフライパンと相性がいいですよ。
羽付き餃子の完成です。
皮もパリパリです。
一気に二人で2人分を完食です。

 

餃子の焼ける香ばしい香りに、乳吞み児のゆうゆうが、何か言葉を発しています。
香りに負けたんですよ。
でも、あなたはまだ離乳食しか食べられませんからね。
もう少しして、食べられるようになったら、父と取り合いになるのは、必定です。

 

それなら、生餃子5人前を買って来て、焼かないといけませんね。
焼き担当ですから、焼きますよ。
家で熱々の焼き立て羽付き餃子が食べられるのは、この上ない幸せです。
中国では、餃子は祝いの料理です。
ありがたいことです。

 

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、香ばしい香りの天子の羽ならぬ餃子の羽の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。