''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ひろ さちや氏の講演 諸法実相からの阿保学に学ぶ より。

先日、とある講演に参りました。
1か月以上前から予約しての講演になっていました。
講演して頂くのは、宗教評論家のひろ さちや氏です。

 

私は、このひろ先生の大ファンで、この日を楽しみにして居った1人です。
会場は、満員満席です。
何やら、相撲の場所みたいですね。
満員御礼と札が出れば、場内も盛り上がります。

 

テレビで、話をされていたのを見たことがあるくらいで、この年になって、講演を聞こうとは、何ともラッキーでしたよ。
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ひろ先生は、これまでに600冊ほど本を出されているとの紹介説明でした。
私の愛読書の1冊『観音経の軌跡の経典』です。
もちろん、私の書棚には、他にもひろ先生著の私の愛読書が多数あります。

 

この本の通り、観音様でおすがりして、50歳にして、初めて奇蹟の子供を授かりましたね。
観音様のお蔭です。
もちろん、教えて下さったひろ先生のお蔭でもあります。
そんなささやかなご縁がありましたので、この講演を楽しみにしておりました。

 

今回の講演の本当のテーマを出すと、いろいろと支障があることがありますので、自分なりに講演の感想から、自分なりのサブテーマを「諸法実相からの阿保学に学ぶ」と名付けました。

 

諸法実相とは、法華経の中に出て来るお釈迦様の生き方と言えます。
法華経についての天台独自の解釈からきていると聞きます。
天台の妙義の「一念三千」の法理も、中国天台宗の開祖である天台大師・智顗が創案したとされていますよね。
この中には、十界互具や十如是や五蘊(ごうん)世界があります。

 

よく言われる三千世間の根本の考えをなします。
つまり、三千世間とは、十界×十界×十如是×三世間=三千となりたつ世界観ですね。

 

そんな難しい事は、日常世界では無用の長物と言うこと莫れです。
三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい」という都々逸がありますよ。
少し前なら、誰でも知っている日常世界に出て来る言葉です。
年寄りだけではありません。

 

若者や子供にも、常識のように使われる言葉ですよ。
えっ?て思われるかもしれませんが、大人気のアニメ ワンピースの中、海賊狩りのゾロの使う三刀流の奥儀にも、「三千世界」という剣の技があります。
もちろん、天台の妙義の「一念三千」の法理から使われていることは、明らかです。

 

諸法実相とは、簡単に申せば、この世界(諸法)が、そのままで真実のあり方(実相)をしている意味のようです。

 

ある意味の松たか子さんの『Let It Go~ありのままで~』歌詞にありますよね。
♪~ありのままの 自分になるの~

 

世の中にもいろんな言葉がありますが、同じような意味でありながら、地域によって意味合いの違う言葉も多いモノです。
その中にあって、阿保(あほ)もそうですよ。
関西では、アホ、関東では、バカ、名古屋では、たわけでしょう。

 

関西人は、すぐにアホと言う言葉を使います。
日常の言葉です。
でも、関西人がアホと言われても、腹が立たないのに、バカと言われると、これほどの侮蔑はありません。
逆に、関東人がバカと言われても、それぼと腹が立たないのに、アホと言われると、これほどの侮蔑はありません。

 

関西人の言う「阿保(アホ)」は親しみのある愛嬌のある言葉です。
バカと言う言葉のように、悪意のある悪い意味ではありません。
これが、関西に住んでみたいと、そう感じないのが、地域性によるものです。

 

関東のバカも、同様にそう意味でしょう。
ひろ先生の言われる「阿保」になることの意味が深いです。

 

何か困り事があると、人はあがきます。
あがけば、あがくほど、蟻地獄のようにいい方に向かわないのが、世の常です。
なるようになると、ほっておくのも、阿保ならではの智慧です。
まさに、阿保学とは、私がサブテーマを付けた所です。

 

答えをすぐに出すのでなく、ありのままにほっておくのも、阿保学だと思います。
お釈迦様は、中道を歩いたと聞きます。
なるようになると思えば、これまた人の人生です。

 

貧富の差を例に、ひろ先生は、教えて下さいました。
金持ちと言うのは、統計的に、50億円ほどの資産のある方と言われました。
ですから、講演に聞きに来られたほとんど方が、ある意味貧乏人ですよ。
金持ちが良くて、貧乏人がよくないと言う事はありません。
優劣を付けることに、意味がありません。
すべての物事は、ありのままです。

 

貧乏人なら、貧乏を楽しめばいいだけです。
この世の中は、不平等の世界です。
それは、それで間違いではありません。
ただ、金持ちが幸せで、貧乏人が不幸と言う事はありません。

 

幸せの度合いと、ある意味金銭は、無関係です。(そうであってもらいたいですね)
優劣の差でも、同じ事が言えると言われました。

 

優等生の比率は、決まっているらしいです。
それを、蟻の世界で教えて下さいました。
働きモノの蟻ですが、一生懸命に働くのは、全体の2割だと言うのです。
全く働かない蟻は、全体の2割、あとの6割が、それなりに働く蟻のようです。

 

そのよく働く蟻ばかりを集めても、次の集団では、一生懸命に働くのは、全体の2割で、
全く働かない蟻は、全体の2割、残りの6割が、それなりに働く蟻のようです。

 

ある意味人間社会では同じです。
優等生の集まりである進学校でも、必ず劣等性は生まれます。
東大でも、落ちこぼれの学生はいます。

 

蟻の例を上げて、それが自然の摂理だと言われます。
でも、全く働かない蟻でも、役目があるんですよ。
蟻の巣が、何かによって、壊された時、働かない蟻は、蟻の巣の中で、懸命に働くようです。

 

全員、働くモノの蟻なら、巣が壊滅した時、外からでは、復旧できないと聞きました。
内部からでしか、巣の復旧はできないのです。
ですから、さぼりの蟻が、働きモノの蟻に変化すると言うのです。

 

あるがままに生きると言いながら、それぞれの生きる意味があると思います。
事が起これば、ジタバタするのが、関西で言う所のバカであって、まあいいやとほっておくのが、阿保のようです。
どちらの人生を歩くのか、私は阿保の道を選択すると思います。
さち先生の阿保学に学んだ結果でしょうね。

 

法華経の信者として、諸法実相の意味をもっともっと学びたいと思いますね。
仏様のお力で、生かさせてもらっている感じられる暮らしは、ありがたいです。
ありのままに、ジタジタすることなく、穏やかな日々の暮らしたいです。

 

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、こんな人生もありと言う話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。