''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家の食卓ものがたり 鰤の照り焼き 真田六文銭風 より。

今日も朝からいいお天気です。
その分、少し風が肌寒いですよ。
気を抜けば、一気に体調に変化を期しますよ。

 

昨晩の我が家の食卓に、鰤が出ました。
嫁が、鰤の照り焼きが食べたいと、鰤を買って来ていました。
それじゃと、私が鰤焼き担当に指名を受けましたよ。

 

脂の乗りは今一つですが、年末の師走の頃には、キトキトの鰤の刺身に、鰤三昧が楽しみです。
その前哨戦と言えば、お手軽な鰤の照り焼きになります。私の好みを言えば、鮮度がいいよく脂がのっているなら、塩焼きが好きですね。
でも、照り焼きも大好きです。

 

鰤の照り焼きをグリルで焼いてもいいですが、昨晩はフライパンでのご指定がありましたので、フライパンで焼きました。
まず、一番大切なのは、鰤の皮をしっかりと焼く事です。
鰤の皮が嫌いな方も多いですが、鰤の皮は、大変香ばしく焼くと、美味いですよ。

 

フライパンに、鰤を箸で立たせて、皮目をしっかりと焼きます。
次に、身を焼くわけです。
ここで、注意が必要なのは、タレ汁に漬けこんで焼くのは、なかなかリスクがありますので、家庭で焼くなら、焼く前に軽く塩して魚の水気を出してから、須焼きします。

 

まずは、皮目を焼いて、身を両面焼くわけです。
この時、盛り付ける面を最初に焼いて、上手に色が付いた所で、裏面を焼きます。
こうした方が、仕上がりが上手に焼けます。

 

フライパンの中で、素焼きした鰤に、照り焼きの合わせたタレを合わせて、ここで味を絡ませます。
もちろん、上手に仕上げたいなら、素焼きした鰤を取り出して、照り焼きソースをかけてもいいと思います。
イメージ 1

私は、一度フライパンの中で、照り焼きのタレを一緒入れても煮たったところで、鰤を取り出して、皿に盛りつけて、残ったタレに水溶き片栗粉を合わせて、ソースっぽくしたものを、鰤の上からかけています。
グリルで焼いたような照り照りのものがお好きなら、この手は使いにくいです。
家のグリルで焼くと、タレに入った味醂や砂糖が焦げます。
すると、中まで火の入っていない可能性が出ますよね。

 

ですから、グリルで焼く時も、素焼きにして、料理屋さんみたいに、何でもタレを刷毛でかけるのも手です。
家では、フライパンの方が手軽るですから、素焼きの時に、蓋をするのも手ですし、タレを熱した入れると蒸気で、鰤に確実に火が入ると思います。
分厚い鰤の切り身なら、タレと一緒に、蓋を閉めるのも安全策です。

 

ただ、蓋をすると、折角焼いた魚の皮目も身もしっとりしてしまいます。
私の場合には、タレと焼いた鰤を絡めてから、再度グリルで、仕上げの表面を、焦げ目と皮目をパリッとされます。
これなら、グリル風の照り焼きに少しだけ近づけます。

 

照り焼きのソースを上からかけるのは、家なら上手に仕上げられます。
中まで味をしゅんでいないぶん、鰤を食べる時に、照り焼きソースが生きて来ます。

 

添え物の野菜も、このソースで頂けます。
照り焼きのソースは、酒と味醂と砂糖と醤油で仕上げています。
子供がまだ小さいので、鰤は食べませんから、砂糖も醤油も少ない目にしています。
色合いだけで、濃い目のソースには仕上げていません。
薄口好みの嫁の口にも合う程度に仕上げています。

 

それで、何が真田丸風と言えば、まさに陣立ての様子が、大阪の真田丸風であるのと、嫁の添え物のチー竹が、真田の六文銭風になっています。

 

大阪の冬の陣では、大軍の徳川方は、言わば鶴翼の陣立ですから、真田は、砦を使った魚鱗の陣立になっています。
多勢兵を相手に戦うなら、魚鱗の陣立しかありません。

 

徳川方は、大勢で攻めますから、一気に小さな真田丸の陣位は、落せると思うわけです。
砦の周りに、堀がありますので、いくら多勢の陣と言えも、一気には落せないのですね。

 

塹壕堀掘りして、その出た土を、最前列に積み上げて土嚢を作るわけです。
真田丸からの鉄砲が雨霰に飛んで来ます。
真田丸は、出丸のような丸い形ではなかったと聞きます。
まさに、鰤照りの鰤のような形かもしれませんね。

 

結局、冬の陣では、真田丸は攻略出来なかったと聞きますね。
豊臣方との講和の後に、取り壊されたようですね。
講和して、停戦するなら、最初から戦をしなければいいのに、浅はかですね。

 

真田丸より、本丸に大筒を打つ続ければ、本丸の攻撃が功を奏しました。
停戦して、これ幸いと、約定以上に内堀も埋められては、戦になりませんよ。
大坂城の一番の売りは、巨大な堀にありましたからね。
戦を知らぬ愚かな武人の戦いには、開いた口がふさがりません。
それ以上に、大坂方の内情が、間者によって逐一知らされていたのも、哀れな事です。

 

それだけ、家康が大坂方を脅威に感じていたのが伺えます。
残りの家康の寿命を考えれば、何が何でも、ここで豊臣を滅ぼしたかったのが、分かります。

 

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、出世に縁のないおやじの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。