''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ヤマハから届いた、愛娘ゆうゆうへのプレゼント より。

クリスマス如何お過ごしの事でしょう。
折しも、25日の午前中に、ヤマハ発動機株式会社から、ささやかながらプレゼントが届きました。
宛ては、私や嫁の名前でなく、乳吞み児のゆうゆう宛です。
簡易書留で届きましたから、名前の確認をしました。

何やら、嫁がアンケートに答えたようです。
しかし、もともとのアンケートの問い合わせは、愛娘のゆうゆう宛です。
1才の乳吞み児にどんなアンケートの答えを求めたモノか、不思議です。
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そのアンケートのお礼に送られて来た500円のクオーカードです。
このカードも、何かゆうゆうの好きなものにでも、変わると思います。

なかなか抽選での当選ですから、運もいいものを持っているみたいですね。
今も横のチャイルドシートで、爆睡中です。
もうすぐ播州の父母とハングアウトですから、起き出すと思います。

母から貰った少し大きめのフリースのベストが、戦国武将の陣羽織に見える感じです。
今年なら、背中に六文銭を張れば、幸村殿の出来上がりです。
昨晩の夕飯の時に、嫁の朱色の箸を、頭辺りに右左に2本立ててやると、「真田丸」の幸村殿ですよ。

あの写真で見る「真田丸」の幸村殿の鹿角の兜の前立は、大きすぎます。
戦場では、邪魔になりますよ。
もちろん、前立ですかから、取り外せます。
直江山城守殿の有名な「愛」の前立も、取り外せます。

大大名なら、当主自ら戦う事はありませんから、巨大な兜の前立も、ありますが、やはり、戦場では、ある意味象徴です。
大将の馬印と同じです。
「ここに、大将居ます」のサインです。
「エビスあります」と同じです。

遠くからでも、幸村殿と分かります。
戦場で、兜首を上げれば、論功行賞で、恩賞が頂けますからね。
そんな時、とりあえずの恩賞の形として家臣に与えるのは、陣羽織ですよ。
武門としては、名誉この上もないです。

ケチケチしないで、腰の短刀を、褒美に上げる位の技量がないと、家臣は続きませんね。
時に、名刀が貰える事もあります。
天正10年、武田勝頼滅亡の折、織田信長が、徳川四天王の一人・酒井忠次の居城の三河吉田城に立ち寄って、酒宴の時の雑魚すくいの舞に賞賛して、信長手ずから褒美に備前長船眞光の太刀を引き出物に与えたと聞きます。

もちろん、酒宴の褒美でなく、酒井忠次の武田攻めの偉大な戦功に対する恩賞であることは明らかです。(『新日本名刀100選』「9 酒井の信房 国宝」佐藤寒山著 秋田書店)
酒井忠次の妻は、家康の姉光樹夫人と言うますから、信長も、家康の陪臣として扱わなかったと聞きます。
もちろん、その戦功は、計りしれないモノがあったと言えます。

信長も、ある意味いろんな配慮の出来た人物のようです。
奇人変人のうつけでは、ありませんね。
気遣いの出来た人物のようです。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、六文銭の小さな穴から見えた世界の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。