''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

中秋の名月に、月見の団子を供えて。

昨晩の名月はどうでした?
見えたり見えなかったりと、言うところでしょうかね。
我が家は、目の前にへーベルハウスの3階の家が建って、月は家からでは見えません。
玄関辺りなら、見えるかもしれません。

それでも、中秋の名月に、月見の団子を供えての古式の儀式に則って、嫁が手作りの月見団子を作ってみました。
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まちろん、我が家の1歳児ゆうゆうは、この団子が好物です。
一気に、3つは食べます。
ほぼ大人の食べる量と同じです。

嫁手作りのさつま芋パンも、1つは平気で食べます。
食欲旺盛です。

しかし、保育園での生活の中で、すぐに風邪を貰って来ます。
そんな訳で、コンコンと咳込んでいます。
昨日も保育園を休みました。

なかなか私の生活パターンも大変です。
子供とたまに一日過ごすのも悪くはないですが、その分疲れます。
少し寝ている間にいろいろと出来ますが、寝てくれないとそれは困り事です。

団子のように、丸く物事が進むように、毎日神仏に念じています。
禅の世界では、丸(○)は、悟りの形として表わされることが多いです。
私が、○△□と書けば、単なる落語きですが、禅の高僧の筆描きすれば、禅の境地を表しますね。

余白の横に棒線を描けば、ちび太のおでんになりそうです。
関西では、おでんに串を刺すのは、少数派です。
私の中では、おでんではなく、関東煮(かんとうだき)です。
いつもの、頭の中で、変換してから言葉に出しています。

おでんと言えば、おでんと燗酒ですよね。
大阪駅近くの新梅田食道街のイメージもします。
私の中では、大阪の京橋の串カツの「まつい」のおでんか、満足屋のおでんのイメージ先行です。

大阪にやって来て、はやくもまる3年が経ちますが、あれだけ恋い焦がれた京橋には、1度しか行っていませんね。
京都に居た時は、年に数回来ていたのにです。
不思議な感覚です。

京都からなら、家から京橋まで、ほぼ1時間でした。
今の大阪の住まいも、家から京橋まで、40分くらいとそれほど違いはないかと思えば、もっと足が近づいてもいいように思えます。

ただ、すでの京都に暮らしていたあの頃は、独り身でしたが、今は1歳児のいる3人暮らしになって、親子で京橋に向かうこともなかなかないでしょう。
せいぜい、大阪城公園に散歩に行くか、桜や梅などの花見に出かける機会しかありません。
もちろん、親子して大阪城位は行ってみたいものです。

大阪城には、地下鉄ならアクセスはいいです。
京橋までなら、地下鉄でも環状線でも乗り換えがありますからね。
大阪城に親子3人で行くなら、それまでに天王寺動物園デビューもしなければなりません。
暑さももうないでしょうから、これからがデビューもありそうです。

天王寺までやって来たら、帰りにおでん位食べたくなります。
動物園を抜ければ、そこは新世界ですね。
通天閣の日立の文字が鮮烈です。
通天閣あべのハルカスの対比が、何とも言えず、不思議な景色と雰囲気を醸し出します。

大阪にやって来て親子でのお出かけは、ほぼ病院と決まっています。
人並みの暮らしが出来ることに、感謝です。
何事も、満月や月見団子みたいに丸く収めたいです。

日々感謝して暮らさせてもらっています。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいと念じています。
ありがとさんです。