''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

柿ナマスを作ってみました。

今日は、曇りながら風が冷たいです。
朝から2歳児ゆうゆうと近くのJAの催し物を見て来ました。

もう少し大きな子供なら、金魚すくいやスーパーボールすくいも出来ましたが、小柄な2歳児では、見ているばかりです。
それでも、人出があると、気分は高揚するみたいです。
人出も多かったので、15分ほどで退散しました。
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昨日は、久しぶりに柿を貰ったので、柿ナマスを作りました。
柿を器に見立てて、中に柿ナマスを入れてあります。
柿の甘さと甘酢の加減が程良く、大根と人参の紅白ナマスで、くり抜いた柿を刻みこんで、柿の器に盛り付けたモノです。

甘酢の加減もいいですね。
柿の甘味が加味されて、独特の風合いです。
鯖などの魚を酢でしめて、紅白ナマスに和えるのも、私の子供の頃にお寺で食べた懐かしい味です。

お寺では、檀家の接待があります。
もちろん、檀家も割を出します。
お米とお金のお布施ですね。

私の実家のお寺は、1500年時代に再興された由緒のあるお寺で、寺の奥の廊下の天井には、駕籠が置かれていました。
法要に、駕籠を乗っていい寺院の格式ですね。

武家で言えば、駕籠の格式と言えば、旗本なら1000石もしくは、それに順応できる役職でないと、駕籠を乗ることは出来ません。
馬に騎乗することが出来るのも、旗本なら200石以上の資格を要します。
因みに、奉行の与力は、平均して200石以上の石高があったので、何人と言わずに、何騎と呼ぶのがこの言われでもあると、モノの本には書いてありますね。

ただ、与力職は特別な扱いですから、いろいろな所から付け届けがあり、石高にして1000石近くあったと聞いたことがありますね。
江戸では、与力・力士・火消の頭は、江戸の三男(えどのさんおとこ)と呼ばれて、人気の的だったと聞きます。

でも、時代劇では、与力も同心も同じような扱いです。
全く別物ですよ。

ただ、石高200石なら、本来旗本の格式ですが、不浄役人との理由から、御家人の扱いなんですね。
それでも、与力の妻は、奥様と呼ばれことが多く、200石の与力なら、本来殿様と呼ばれるはずなのに、その格式にありません。
当時の「八丁堀の七不思議」の一つとして「奥様あって殿様なし」と言われましたね。

当時の与力は、北町、南町、(一時期中町奉行所有った時代も)で、それぞれ25人都合50人位の人間が、都庁、裁判、警察の上級公務の仕事をしていたことになります。
それだけ、平和な時代だったと聞きます。

それでも、江戸の一番の問題は、やはり火事でしょうね。
火事と喧嘩は、江戸の華と言いますが、治安や町づくりなどの問題も含む大変な国家問題ですからね。

町中だけの事ではありません。
江戸城も燃えたくらいですからね。
江戸城天守閣が無いのは、その為ですし、再建に多額の費用が掛るため、断念されています。

今日は、柿の話だけに、火器厳禁です。(ここしか笑うとこないですよ。ねぇー、とおるちゃん!!)
柿は、酒呑みにはいいと聞きます。
肝臓の機能には、いいようですね。

それなら、柿ナマスは、最高です。
甘めも少し控えめにして、柿の甘さを生かしました。

もちろん、2歳児ゆうゆうも食べていました。
酢の物が苦手なゆうゆうも、首を傾げながら、柿の甘さに誤魔化されたと言うことでしょう。
甘酢は、加熱しています。
それによって、酸味を飛ばして、昆布だしを加味して、まろやかな酢の物に仕上げています。
意外に上手に出来ました。

日々感謝して暮らさせてもらっています。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいと念じています。
ありがとさんです。